[職場闘争]組合加入から公然化・団交要求までの道程 part 2

2016年3月15日(火)の昼休み、「○君、ちょっと…」とY常任理事(当時)から呼び出しを受けて「ついに来たか…」と思ったのも、3月1日の職員会議「事務局調整会議」の席上で、Y常任理事が会議の中盤に、わざわざ就業規則の服務規律のある章を蛍光ペンでマーキングして職員に配布し、

「今年度(2015年度)最後にあたって、残念ながら今年度1名退職となりました(Y氏のこと)。」
「就業規則をみなさん再認識してもらおうと配りました。第3条…職員は、本会の公共的使命を理解するとともに、この規則を守り上司の命令に忠実に従って事務局の秩序を維持し相互に協力してその職責を遂行するよう務めなければならない…詳細は第7章の服務規律を読んで再認識していただきたい。協会の一員の自覚をもって気持ち良く仕事をしてもらいたいと思いますのでよろしくお願いします。」

と告げた。この時期になぜ?Y氏が退職勧奨されて辞めた経緯も職員に詳らかにせずに、だ。どうもこの間「上司」に対して“反抗的”と見做された私への警告としか思えなかった。これに加えて、何やらその「上司」らがキナ臭い動きもしていたのは察知していた。そして、3月15日にY常任理事に呼び出され、そこで手渡されたのは「始末書」の雛形だった。そして、その始末書の雛形には項目と記入例が、こう書かれてあった。

1 不始末の具体的な状況
・パソコンにアカウントの追加設定した事実について

2 不始末が生じた原因
・Y元職員からの依頼等

3 反省点
・事務局の秩序を守り職務を遂行する

なんだこれは? 私が目を丸くしていると、Y常任理事も何とも言いにくそうに、申し訳なさそうに話し始めた。

Y常任理事「 Y君のメールアドレスの件だけど、こういう様式の文書に記入して出して欲しいんだよ。」
    「始末書? うーん、その話は12月に末吉・水内からも聞いてますし、常任理事のお立場も理解できますが、私が不始末を起こしたということには同意できません。というのも、私が過去からメールアドレス管理を行っていたわけですが、前提として部署で共有するという方針でおりましたし…」
Y常任理事「うむ、じゃあそういうあなたの経緯とか意見というか、そういうものでもいいんだよ。」
     「じゃあ、“始末書”じゃなくて、何と言ったらいいのかな? “顛末書”とか“報告書”という性質のものですか?」
Y常任理事「ああ、それでもいい。とにかく、この件については早く決着をつけたいんだ。」
     「私もいろいろ言われましたが、この間の経緯について言いたいことはたくさんあります。」
Y常任理事「(声を落として)前にいたT*からも話は聞いているし、君のこともこの協会のこともいろいろとわかっているつもりなんだ…。」
     「そうですか。まぁ、お立場上しょうがないかもしれませんが…わかりました。ちょっと検討させてくださいませんか?」
Y常任理事「いいよいいよ、よろしく!」

* 2011年6月から2012年3月までの間、協会事務局長に就任していたT氏のこと。事務局長就任期間としては1年未満の異例の短期間であり、解任理由も「そんなことで解任?」という内容で極めて理不尽で不当な処遇だったと私は思っている。T元事務局長はY常任理事のことを厚生省時代の良き先輩として慕っていたので、Y常任理事が協会に就任したことを知ったT元事務局長は自身の任期の間に何があったのか詳細なメモを纏めて渡し、気を付けるように促していたのは私も知っていた。

このような協会事務局職員の人事労務管理に関する仕事は、「事務局組織及び事務処理規程」上、常任理事の仕事ではない。本来こんな“汚れ仕事”は末吉事務局長がやらなければならない仕事である。しかし、Y氏の時もそうだし、その他の件でも彼は決して自分の手を汚そうとはしない。誰かを操ってやらせるのがいつものやり方だ。そんなこともあり、こんなことやらされて、嫌々全く乗り気ではないY常任理事に同情しなくもなかったが、Y氏を退職に追い込んだ、申し訳ないが、あえて言わせてもらえば実行犯でもある。私には優しく接してくれてはいたものの、やはり影で操っている者らを想像すると素直に言うことを聞く訳には行かない。

端から「始末書」だろうと「顛末書」だろうと「報告書」だろうと書いて提出する理由も気持ちもなかったが、本当に公務員的な慣習で形式的に提出させて、この件を終わりにするつもりなのか、はてどうしたものかと図りかねた。とりあえず、「始末書」雛形を受け取り、南部労組の仲間に相談。3月18日(金)の昼休みにY常任理事に、誰の指示か?制裁処分なのか?提出は命令なのか依頼なのか?いつまでに提出なのか?を念押しして確認したところ、会長の指示で、別に制裁処分じゃなくて、報告・記録しておきたいから依頼、とのことだった。
しかし、仮に形式的にY常任理事に始末書を提出したとしても、一旦出してしまった始末書はY常任理事の任期後(2016年6月の役員改選で退任することは、公表されなくてもわかっていた)、就業規則上の制裁規程に関わることでもあり、始末書を用意していたのも協会(準)管理職連中だったのは知っていたので、後々末吉事務局長らにどのように利用されるかわかったものではない。

これとは別件で問題だったのは、先の3月1日の職員会議で末吉事務局長から労働基準法改正案**に基づき、職員に対して年次有給休暇の計画的付与案が提示されたことだ。次回までにその休暇願書式や計画表を提示するという話が出た。おいおい、計画年休の取得は労使協定***が必要だろう?しかも、そんなこと就業規則にも定められていないはずだ。またしても、何も知らないままに進める気でいるなと思い、このような質問をした。

     「計画年休については現就業規則にも定めがないし、労使協定が必要なものなんじゃないでしょうか?就業規則も変えるということでいいんですか?」
Y常任理事   「休暇の取り決めはどうなってんの?」
末吉事務局長「それは謳ってないですね。」
     「休暇に関する取り決めの変更は即ち労働条件の変更なので、就業規則も変更しなければならないはずですが?」
末吉事務局長「そこは確認するから。」

** 結局この改正案は審議未了で見送りになった。
*** 改正案では、「労働時間等設定改善企業委員会の決議をもって、年次有給休暇の計画的付与等に係る労使協定に代えることができることとする」とされている。

やっぱり何もわかってないな…。同じ日の同じ会議の中で、方や就業規則に従えと言いながら一方で就業規則にないことをやろうとするとはどういうことだ? 計画年休の件といい、始末書の件といい、使用者・管理職に都合よく、無知なまま何でも好き勝手に決められてたまるか!
これではまた、2013年4月の就業規則の違法な変更手続き・周知義務違反と同じ過ちの繰り返しを許してしまうことになる。ここは協会使用者側に労働者としての協会事務局職員の権利とは何か、使用者が労働者の権利を侵すことは絶対に許されない、労使対等な立場で協議しなければならないことを実力をもって示さなければならない。

「権利のための闘争は権利者の自分自身に対する義務である。」
「権利の主張は国家共同体に対する義務である。」

ドイツの法学者・イェーリングは『権利のための闘争』(Rudolf von Jhering, “Der Kampf um’s Recht”, 1894)において、権利=法をこの二つの命題で表した。権利を主張しないことは自らの権利をむざむざ放棄してしまう行為である。正当な権利の主張と行使、それが障害者の権利擁護団体である我々に課せられたmissionだ。退職したT元事務局長にもY氏にも我々労働組合と一緒に大義の下に頑張ってもらいたかったが、それが叶わなかったのは残念である。
他の職員は悲しくもnaiveゆえに従順な羊かもしれないが、私は違う。協会事務局職員の我々も声を大にして言わせてもらおう。

nothing about us without usNothing About Us  Without Us
私たち抜きに、私たちのことを決めるな

…と。

これらをtriggerとして、さらに、2013年4月の暴行・暴言事件を繰り返さないために、その当事者である末吉事務局長に釈明と反省、謝罪を求めるために、2016328日付で組合加入通知兼団体交渉要求書を協会に配達証明郵便で送り、東京南部労働者組合・日本知的障害者福祉協会(南部労組・福祉協会)の職場闘争の火蓋が切られたのであった。

To be continued…

[職場闘争]組合加入から公然化・団交要求までの道程 part 2」への2件のフィードバック

  1. H

    Nothing About Us Without Us 私たち抜きに、私たちのことを決めるな
    このスローガンはさぽーと誌上では見たことがありません。読者の中にはこの言葉を知らない人もたくさんいるでしょう。

    年休の計画的付与を労使協定もなしに「労働時間等設定改善企業委員会」という組織の決議で可能にするなんて、デタラメもいいところですよね。かつての日の出福祉園時代を思い起こさせます。労使協定の意味は何なのか?労働条件を使用者が勝手に決めるなという事です。
    まさに、私たち抜きに、私たちのことを決めるな!です。

    知的障害者福祉協会は南部労組・福祉協会に感謝すべきですね。問題は組織の宝です。組合が福祉協会の問題を知らせてくれなければ、日本知的障害者福祉協会がこんな状況だとは誰も知り得なかった。その法的問題点を理解した施設経営者、労働者は、福祉協会を反面教師として自らのコンプライアンス向上に資すことが可能になったのです。
    公益性の高い法人の労働問題は、私企業のそれよりも広く明らかにされるべきです。

    ゆにおん同愛会 林

    返信
    1. jaidunion

      単に一職場の問題に大袈裟だと言われそうですが、1981年国際障害者年のテーマ“Full Participation and Equality”「完全参加と平等」から、2010年民主党政権下での障害者制度改革推進会議での本人参加、そして障害者権利条約制定時のスローガン“Nothing About Us Without Us”「私たち抜きに、私たちのことを決めるな」…その理念や意義を協会事務局の事務局長その他職員が全く理解していないということに、恥ずかしさを感じます。中の人間である私の自戒をこめて。おっしゃる通り、一民間企業ではなく、公益法人なのですから。

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