[職場闘争]組合加入から公然化・団交要求までの道程 part 3

2016年3月29日(水)の午後、昨日配達証明で郵送した組合加入通知兼「団体交渉開催要求書」が協会に届いたようだ。どんな様子なのかな?と窺ったら、当事者たち(末吉・水内)はアタフタしてパニック状態だった。(笑)
団交要求書を受け取った末吉事務局長と水内事業課課長代理は外に出て行ってしまった。どうやら、他の職員に気づかれないように、外で謀議を行うつもりらしい。おやおや、勤務時間中なのに勝手に離席・外出しちゃダメだろ…。(笑)
まぁ、それは兎も角、これからは君たちの好き勝手にはさせないぞ!様を見なさい!と思い、その慌てふためく様を眺めて胸の空く思いであった。いやー、労働組合に加入してよかったぜ!^^Y

その夜は南部労組他労働組合で構成される南部地区労働者交流会の3.29南部春季集会(春闘集会のようなもの)があり、そこで組合加入と団交要求を行ったことを集まった各労働組合の仲間に報告、「おー、今日届いたんだ。ヨシ!がんばれ!」と激励された。

さて、組合加入通知兼団交要求書が協会に届いた翌日の3月30日、なんと2013年4月1日に変更された就業規則が3年も経って、しかも、協会事務局職員には内緒で古屋総務課課長代理(当時)に労働者代表の意見書を書かせて、労基署に届け出されている。しかも(前)協会顧問弁護士の指示を受けてやったことだったというから、さらに呆れる。団交要求でパニックになり意味不明な恥の上塗りをする愚行は、一知半解知らずに劣れり、というか何というか…。この顛末は凡そ半年後の第4回団体交渉で明らかになったので、発覚の経緯については第4回団交報告第5回団交報告をご覧いただきたい。

そんな茶番劇があったとは情報収集には余念のない(笑)私でも気が付かなかったが、その翌日の3月31日(金)の昼休み、昼食の弁当を買いに協会事務所から大門交差点方面に歩いていたら、偶然、昼食を終えて店から出て来たY常任理事(当時)とばったり出喰わした。Y常任理事から手渡された「始末書」をtriggerにして言挙げ・行動を起こした自分としては、ここはきっちり“仁義を切って”おかなければならない。また、Y常任理事としては末吉事務局長から面倒な仕事を押し付けられているだけであることもわかっていたからである。

    「どうも、すみません。何か面倒くさいことして。別にYさんには私個人として何も恨みはありませんし、どうこうしようというつもりはないんです。あんな汚れ仕事はYさんがやる必要はないんですよ。末吉にやらせておけばいいんです。」
Y常任理事「まあ、いいよ。一回くらいこういうことがあっても。ご苦労さん!」

と、和かに答えてくれた。全く以ってあたふたした子供地味た輩と違い、実に大人な対応であった。

さらに、その日の午後、退職勧奨により自主退職を余儀なくされたY氏の同僚だった職員が「話がある」とのことで、退勤後外の喫茶店で話を聞くことになった。
一緒に退勤し、近所の喫茶店に入った。おそらく、この度の組合加入と団交要求のことだということは確かだったので、管理職連中に懐柔工作でも依頼されたのかと思い、率直に聞いてみたがそうではないとのこと。私に提出要求のあった始末書にあった、例のメールアドレスの件の話と元職員のY氏の話が中心であった。
てっきり、同部署の2つの業務用メールアドレスを元職員のY氏が受信していたことを問題にしているのかと思いきや、そうではなくその職員が一方のメールしか受信できていないことは2つのメールアドレスを部署で共有していたことにはならないという主張と批判で、これは予想外な意見だった。確かに主張や批判は理解できることでもあるし、当時各PCやネットワークの管理者だった私は、同部署の庶務は元職員のY氏がほとんど担っていたので、(他の部署もそうだが)彼が仕事をしやすいように設定の仕方の手順を教えて、管理を任せていたことは事実である。その辺は丁寧に自分がフォローしていれば良かったかもしれないということは話を聞いて、私自身少々反省しなくもなかった。

しかし、である。2015年2月にメールサーバーに問題あるとか何とか言って(どういう障害があったのか碌に説明もなく)各職員のPCの中を漁り出し、“問題”を発見。4月になって、Y常任理事・末吉事務局長・(前)協会顧問弁護士がいる役員室に突如として呼び出され、あたかも悪意を持ってメールを傍受していたかの如く難詰され、(前)協会顧問弁護士に「電子計算機損壊等業務妨害」(刑法234条の2)で刑事告訴されたくなければ退職しろと滅茶苦茶な恫喝をされる羽目になる。これがいきなり退職勧奨されるような問題なのだろうか? その前に当事者間で話し合いでの問題解決の機会が一度も持たれなかったのはなぜか?
事の経緯を知る者にとってみれば、どう考えても、瑣末な出来事を針小棒大に騒ぎ立ててframe-upを図った、具体的に言うと、2014年10月に元職員のY氏が自身に下された処断に対して、彼を支持した大学教員の方々と連名で協会会長等に発した抗議文に対する報復措置としか思えない、追放前提で虎視眈々と“懲戒解雇相当”の処分ができる機会を狙っていたのではないか、と考えるのが自然だ。

さらに本質的な問題なのだが、これまでも団交から逃亡する様に見られるように、本当に解決不能なことには責任回避と黙りを貫く割には、このように大した問題でもないことはわざわざ大事にして仕事しているふりをする協会事務局のやり方は、この件に限ったことでは無い。1年足らずの異例の短期間で職を追われたT元事務局長の解任理由も然りである。他にもある同様な問題についても、協会事務局をよく知るある施設長は協会事務局・末吉事務局長のことを「マッチポンプ」と称していたが、言い得て妙である。まあ、辛い立場にあるのは事実だし同情しなくもないが、保身を図るにもやり方が稚拙で夜郎自大そのものだ。イタ過ぎる。

話が横道に逸れた。
その職員からは、元職員のY氏について思うことなどを聞いたが、Y氏も反論があろうからその辺の話は割愛する。誤解してもらっては困るので、退職した者を引き合いに出したり、メールアドレス管理、始末書そのものを問題にして団交を行うのではなく、協会事務局の労働環境総体に一石を投じるための団交要求であることを話し、その夜は別れた。

団交要求の回答期限である4月8日(金)に協会から団交応諾の回答書がY常任理事名で組合に届く。団交会場は協会会議室ではなく、協会事務局のあるビルの数件隣にあるTKP浜松町ビジネスセンターミーティングルーム8Cとあった。協会には大きな会議室があるのにわざわざ貸会議室を使うとはどういうことだ? しかも、回答書には協会の公印が押印されているが、公印使用簿には回答書に使用した記述もなければ公印使用許可を受けた起案文書の控もない。公印の管理者は規程上、末吉事務局長だ。規程違反を犯しても、こそこそと組合対策を弄する姿勢が既に見られる。

…と、そんなこんなで、2016年4月18日(月)に日本知的障害者福祉協会と東京南部労働者組合・日本知的障害者福祉協会との第1回団体交渉を迎えるのであった。


組合加入のきっかけから団体交渉までの経緯を3回に亘って記したが、別に組合活動がしたくて始めた訳ではないし、「管理職」等に労使対等に職場の問題を話し合うという自覚や人権感覚、法令遵守意識があったならば、組合活動などする必要もなかったのだ。正直言って、こんなくだらないことを解決するために団体交渉や情宣行動を行い、本組合掲示板ブログで内外に発信すること自体恥ずかしい。敵に敬意を払えなければ闘いのモチベーションを保つのも難しく、徒労感が募るばかりだ。
しかし、曲がりなりにも公益財団法人になり、80年余の歴史のある障害者の権利擁護団体である協会の事務局が、一部の無知無自覚な人間に私物化され専横支配されている状況を眺めつつ、尻を捲って去って行くのも忍びない。

権利はたたかう者の手にある

協会事務局職員の中のどれだけの人間が知っているかわからないが、これは生存権を巡って国と闘った「人間裁判」朝日訴訟のスローガンだ。
国でも地域社会でも職場でも、我々が無関心でいては、何時、暗黒社会やブラックな職場に転落するかわからない。日本国憲法第12条にあるように、自由や権利は我々の不断の努力によって保持されるものだからである。

…The end

[職場闘争]組合加入から公然化・団交要求までの道程 part 3」への2件のフィードバック

  1. H

    権利はたたかう者の手にある
    これほど人権思想の本質を的確に表現した言葉はないと思います。
    労働組合運動を嫌悪、または嫌悪しないまでも決して関与しようとせずに、どうして社会保障の仕事ができるのか?本当に不思議です。経営側も職員側も同じことが言えます。

    自らの人権を守る活動の経験もないのにアドボカシーなどと横文字をカッコよく語る専門職ばかりになっては、福祉の世界もおしまいですね。(林)

    返信
    1. jaidunion

      おっしゃるとおりで、自分の権利に無自覚な人がどうして他者の権利を護ったり、社会正義を実現できるのでしょうか。
      理屈だけこねていても社会は変わらない。「たたかう」というと怖気づく人がいるかもしれませんが、「言葉に出す」「行動する」くらいに考えてほしいなぁと思います。

      返信

H へ返信するコメントをキャンセル