Kちゃんの思い出 その2

この記事を書いている2026年7月26日は、津久井やまゆり園事件からちょうど10年目になります。
ここにあらためて、無念にも命を落とされた19人の犠牲者の方々に哀悼の意を表明いたします。

1人を除き、名前を伏せられた犠牲者への献花台──「私たちは津久井やまゆり園事件の“何”を裁くべきか!?」主催:津久井やまゆり園事件を考え続ける会 2020.1.11

この10年の年月で犯行に及んだ者の公判から、その歪んだ思想と凶行の詳細が明らかになりました。
そして、2020年3月16日に横浜地裁で死刑判決が下り、本人の控訴取り下げにより死刑が確定しています。
また、犯行に及んだ者と同種の思想によって多くの障害のある人達の人権を踏み躙った旧優生保護法による強制不妊手術が、2024年7月3日に最高裁で違憲との画期的な判決が下され、現在、旧優生保護法による被害者の救済措置が講じられています。

しかし、この史上稀に見る犯行に及んだ者個人の思想と行動についての本人からの発信とその報道を除き、なぜ事件は起きたのか、それも障害者支援施設で、さらに、障害のある人達を支援しなければならない施設職員による凶行であったことについて、本質的な検証が為されたでしょうか。
私は未だもやもやとした思いが拭えません。

施設の利用者にとって、これまで日々親しく接していた身近な存在の職員が豹変し、凶刃を握り締めて襲い掛かった夜は、施設の利用者にとって想像を絶する恐怖だった筈です。
私も障害福祉の片隅に身を置く者として葛藤と自戒も込めて、あるべき支援する・支援されるという関係が、支配・非支配という非対称的な関係に転化する危うさがあるのではないかと考え続けているのですが、残念ながら答えは勿論のこと、糸口らしきものも見出すには至っていません。

前置きが長くなりましたが、公開しようかどうしようか悩みましたが、以前記事にした「Kちゃんの思い出」の続編を認めようと思います。

前編では障害のあるKちゃんとそのお母さんのことを、幼かった私が「かわいそう」な人達という思いで見ていたと綴りましたが、それは犯行に及んだ死刑囚が言っていた“障害者は不幸をつくることしかできない”という障害(者)観と何が違うのだろうか、根にあるものは同じなのではなかろうか。
当時の私がそう思ったのは単に幼かったからということもありますが、当時の社会にそういう障害(者)観が支配的だった影響もあったからでしょう。

さて、前編同様、捉え方や価値観、“思想”の違いによって、不快に感じる方がいるかもしれません。
「何を言っているんだ」「それは違うだろう」と思われた方は、どうぞ遠慮なくコメント欄に書き込んでください(可能な限り、反省の弁なり言い訳なりを述べます……~~;)。

思い出話については登場人物名含め、ディテールを若干変更しています。


席替え以降、Kちゃんはいつも私の席の隣だったが、授業中にちょっかい出されたり、いたずらされたこともあって、ついにF先生も見かねたのか、教壇の近くにKちゃんの席が移動になった。
正直、私はホッとしたが、障害のあるKちゃんが授業について行けなくなったのは、幼かった私でも段々とわかっていた。

小学3年に進級した始業式の日、担任がF先生からE先生に交代したが、クラス替えはなく同級生は2年生の時のままであった。
しかし、クラスにKちゃんの姿が見えない。
どうやら、Kちゃんは特殊学級に転籍になったようであった。
後に特殊学級にいるKちゃんの姿を見かけた。

小学3年の1学期の日々が過ぎていくに連れて、Kちゃんの存在は自分の中で薄れていったとはいえ、小学校教員だった私の母から聞いていたKちゃんのお母さんの「みんなと一緒の普通学級で学ばせたい」という思いが果たせなくなったんだなぁ、Kちゃんのお母さんはさぞ苦渋の選択であっただろうと、不憫に思った。

そんな日々を過ごす中、私が母と街に出掛けたときに、偶然、KちゃんとKちゃんのお母さん、叔母さんと思しき女性と3人で歩いているところに出会した。
Kちゃんのお母さん達は談笑しながら、そして、Kちゃんは教室では見たことがない楽しそうな表情だった。
私の母がKちゃんのお母さんに挨拶をした。
Kちゃんのお母さんも笑顔で応えていた。

しかし、Kちゃんは私の顔を見るなり、それまで笑顔が消えて、かつて教室で一緒だった頃の表情に戻り、何かを言った。

「………!」

賑わう街の雑踏の中、何を言われたのかよく聞き取れなかったが、少なくとも私に好意を抱いていないことだけは伝わってくる言い方だった。
なんだよ…と思いつつも、心に引っ掛かるものもあった。
Kちゃんが隣の席だった頃の疎ましい私の思いが態度に表れ、彼女もそれを察していたのだろうか。
嫌われても仕方ないか。

でも、お母さん達と一緒のときのKちゃんの楽しそうな笑顔はいまだに鮮明に覚えている。

さらに月日が経ち、2学期に入った頃だった。
担任のE先生がクラスのみんなに報告した。

「みなさん。1年生2年生のときに一緒だったKちゃんがひきつけを起こして、きのう、病院に運ばれて入院しました。」

クラスのみんなもこれには一様に驚いていたし、1〜2年のときに隣の席でみんなよりも関わりの深い私は尚更だった。
しかも、数ヶ月前に街で会ったときは、あんなに元気に、楽しそうにしていたのに、なんで…と思った。

そして、翌日、Kちゃんは病院で静かに息を引き取ったのだった。

Kちゃんとの出会いと別れ、そして彼女との思い出は、その後の私の心に良くも悪くも長く影を落とすことになる。

To be continued…

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