今から20年くらい前、日本知的障害者福祉協会の事務局が東京都港区西新橋にあった頃、私は通勤に営団地下鉄丸ノ内線利用し、霞ケ関駅で降りて、事務所まで14~5分の道程を歩いて通っていた。
朝の丸ノ内線の車内では当時の厚生省児童家庭局障害福祉課のW専門官とよく一緒の車両になった。W専門官は『AIGO』(現・『さぽーと』)誌の編集会議にもたまに出席してくださっていたし、厚生省への原稿依頼の際、電話でお話をしていたが、私は、当時は(今も)“ペイペイ”(自虐的に使っているのではなく、かつて面と向かって言われた→詳細はこちらを)だったので、私が「愛護協会」の事務局員だとは気付いてはいなかったようだった。
そして、いつも乗っている車両には、肢装具を身に着け、杖を突いている身体に障害のある女性も乗っていた。丸ノ内線は主要ターミナル駅に停まる為、通勤ラッシュが凄まじく、その女性はさぞ大変だったろうと思う。実際、発車停車でよろけて倒れ、気付いた他の乗客らがシートに座らせたり、私も体を支えてあげた事があった。彼女は私と同じく霞ケ関駅で降りていたようだったが、何処に行くのだろう?何処に勤めているのかな?と気になっていた。
そんなある日、用事があって(当時は…ここ数年来“仕事では”厚労省の合同庁舎に入館したことがない、事情は本ブログの他の記事からご察しください)厚生省の入る中央合同庁舎5号館の高層階行きエレベータに乗ったら、彼女が行き先階ボタンのパネルの前にある丸椅子に座り、乗客の行き先階ボタンを押す係をしていたのだった。彼女は厚生省(?)のエレベーターガールだったのか!と謎が解けたと同時に、中央省庁もこのように障害のある人を雇用しているんだなと思ったものだった。
さて、本題に移る。

「省幹部「死亡職員を算入」意図的水増し証言」毎日新聞(2018年8月29日)より
自衛隊PKO部隊の日報問題、財務省の決裁文書の改竄、厚生労働省の裁量労働制に関する出鱈目なデータなど、行政の信頼を根底から揺るがす問題が相次ぎ、国の言う事など一切信用ならない事態となっているが、ここに来てまた驚天動地の大問題が報じられた。
2018年8月17日、複数の中央省庁で雇用している障害者数を「水増し」し、「障害者の雇用の促進等に関する法律」(以下、障害者雇用促進法)に定める障害者雇用率を実際は下回っているという報道だ。その後、多くの中央省庁や地方自治体で雇用すべき障害者数を偽装し、法定雇用率を達成しているかのように虚偽報告していたことが明らかになった。しかも、障害者雇用が義務化された1976年以降、42年間に亘るという。
その実態は凄まじいもので、2018年8月29日の毎日新聞の記事によると、「死亡した職員を障害者として算入し、意図的に雇用率を引き上げた」とする証言が出るわ、17の省庁・行政機関で実際の雇用率は1%未満だったというのだから、この行政機関の悪辣な実態に、「呆れ」「憤り」「怒り」…最早、紋切り型の表現では上手く形容する言葉が思い浮かばない程である。
障害者の就労の権利・雇用機会の創出を巡る施策は、障害当事者、支援者からなる関係団体や労働行政、経営者団体、労働団体等の社会連帯の理想と、地道で粘り強い議論と運動とによって勝ち取られて来たものである。ここに知的障害者の法定雇用率への算入・雇用義務化までの道程を簡単に拾い出してみる。
1960年、身体障害者雇用促進法が制定される経過において、全日本精神薄弱者育成会(当時、後の全日本手をつなぐ育成会、その後継団体の現・全国手をつなぐ育成会連合会)の仲野好雄氏が中心となり、知的障害者を法の対象とするよう求めたが、就労促進が盛り込まれた附帯決議に止まり、法の対象とはならなかった。
大きな改正が為されたのは1976年である。雇用義務の強化を図った改正身体障害者雇用促進法(当時の名称)は同年10月1日に施行された。この改正によって身体障害者の雇用は義務化され、法に定める身体障害者は身体障害者手帳を所持する者とし、民間企業の法定雇用率は1.3%から1.5%に、三公社五現業(当時…懐かしい言葉だ)は1.6%から1.8%に引き上げられた。また、常用労働者300人以上の企業に対して雇用率未達成の人数1人当たり月額3万円の納付金が課せられるようになったことが大きな改正のポイントである。しかし、知的障害者は、実際に雇用された場合、法定雇用率における身体障害者と同数に数えられ、納付金の減額措置は講じられるが、法定雇用率上からは除外され、算定基礎・義務化の対象にはならなかった。
1984年5月、労働省(当時、現・厚生労働省)は「精神薄弱者雇用対策研究会」を発足させ、「今後の精神薄弱者雇用対策の在り方」報告書を提出。この報告書を拠り所として、1985年8月、労働省身体障害者雇用審議会において、知的障害者の法定雇用率適用を諮る為、労働組合、使用者、障害者団体、学識経験者各3名から成る12名の小委員会を設置、延べ9回に及ぶ会議を経て、1986年7月に意見書を取り纏めた。1987年2月の審議会の答申を受けて、同年5月に身体障害者雇用促進法は「障害者の雇用の促進等に関する法律」と名称も変わり、改正法が成立した(1988年4月1日施行)。この改正によって、知的障害者は法定雇用率の算定基礎には加えられてはいないが、納付金制度の調整金・報奨金の支給対象となり、身体障害者との法的な雇用格差は実質的に解消され、大きな前進を見せたと言える。
そして、1995年12月に障害者施策推進本部で策定された「障害者プラン~ノーマライゼーション7か年戦略〜」において、知的障害者・精神障害者の法定雇用率おける設定の在り方が指摘され、1997年の法改正により(1998年7月1日施行)、知的障害者も法定雇用率の算定基礎に加える等、長年の関係者の悲願であった知的障害者の雇用義務化が遂に成されたのであった。
因みに、精神障害者も知的障害者の雇用義務化と同様な経過を辿り、2016年4月の法改正により、2018年4月から精神障害者も法定雇用率の算定基礎に加えられ、法定雇用率も民間企業 2.0%→2.2%、国・地方公共団体等 2.3%→2.5%、都道府県等の教育委員会 2.2%→ 2.4%となった。
この度発覚した中央省庁・地方自治体での障害者雇用「水増し」問題は、障害者団体の啓発活動、労政使一体の障害者雇用への取り組み、その他数々の障害者雇用施策の拡充へ向けての、これまでの関係者一丸となった運動、努力を嘲笑うかのような、障害当事者・関係者、国民への背信行為であり、全く以って許し難いものである。事実、現時点で私が見つけただけでこれだけの障害者団体から怒りと抗議の声が挙がっている。
全国手をつなぐ育成会連合会「障害者雇用促進法における行政の不作為の改善を求める声明」(2018.8.24)
DPI日本会議「国及び地方自治体の障害者雇用水増しに対するDPI日本会議声明」(2018.8.24)
全国精神保健福祉会連合会「障害者雇用制度の信頼を失う中央省庁・地方自治体等の水増しは許されない」(2018.8.24)
日本障害者協議会(JD)「国などによる障害者雇用「水増し」問題は障害のある人への背信行為-第三者機関による徹底した真相解明と障害者の労働政策の抜本的改革を-」(2018.8.27)
きょうされん「障害者雇用水増し(偽装)問題を徹底検証し、真の障害者雇用の前進を」(2018.8.29)
障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会「障害者雇用の偽装(水増し)行為に対する障全協声明~障害者雇用施策等の根本的な見直しを求めます~」(2018.8.30)
日本身体障害者団体連合会「中央省庁等における障害者雇用の水増し問題に対する声明」(2018.8.31)
全日本ろうあ連盟「国及び地方自治体の障害者雇用率水増し偽装に対する声明」(2018.9.3)
障害者労働組合「障害者雇用法定雇用率水増し問題と障害者雇用施策の改善を求める声明」(2018.9.7)
42年間に亘り、中央省庁や地方自治体の意図的な誤魔化しによって、障害者の就労・雇用機会が奪われたことは重大な権利侵害に他ならない。
先ずは、この不祥事の実態を調査し解明すること、調査結果の公表と公正な第三者による検証である。
そして、こんなことを言うのも情けない話だが、このような雇用率の遵守、つまり数の帳尻合わせだけが障害者雇用の促進の目的なのか?と云うことだ。これではまた同じ事が繰り返される。最も大切なのは、法の理念の真の理解である。障害者雇用促進法の基本的理念と国及び地方公共団体の責務を噛み締め、認識してもらいたいものだ。そうでなければ、未だ行政組織の中には差別的な障害者観が胚胎しているという批難の誹りは免れないだろう。
† 障害者の雇用の促進等に関する法律
第3条 障害者である労働者は、経済社会を構成する労働者の一員として、職業生活においてその能力を発揮する機会を与えられるものとする。
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第6条 国及び地方公共団体は、障害者の雇用について事業主その他国民一般の理解を高めるとともに、事業主、障害者その他の関係者に対する援助の措置及び障害者の特性に配慮した職業リハビリテーションの措置を講ずる等障害者の雇用の促進及びその職業の安定を図るために必要な施策を、障害者の福祉に関する施策との有機的な連携を図りつつ総合的かつ効果的に推進するように努めなければならない。†
この問題が有耶無耶なままに終結を迎えないよう、今後も注視していかなければならない。
最後に1979年の国際障害者年行動計画(総会決議34/154の第2項の63)から抜粋引用し、再確認・共有して締め括りたい。
「社会は、一般的な物理的環境、社会保険事業、教育、労働の機会、それからまたスポーツを含む文化的・社会的生活全体が障害者にとって利用しやすいように整える義務を負っているのである。これは、単に障害者のみならず、社会全体にとっても利益となるものである。ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の者と異なったニーズを持つ特別な集団と考えられられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを充たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」
ところで、この記事を書いている現時点(2018.9.8)で、我々に身近な知的障害者の福祉団体がこの件に関して声明を出していないようだが…どうした?■
‡ (2018.9.14追記)日本知的障害者福祉協会が声明を発表したようなので追記します。‡
…The end
日本知的障害者福祉協会は、機関誌「さぽーと」に知的障害福祉研究と冠しています。協会がこの問題に何もコメントしなければ、知的障害福祉研究を詐称するに等しいのではないでしょうか?
現実の社会問題に迫らない知的障害福祉研究ならば、それはいったい何の研究でしょうか?優生保護法での強制不妊手術、就A事業所閉鎖・大量解雇問題、問題を精神医療に押し付けて知的障害者福祉施設の防犯対策に矮小化したやまゆり園事件再発防止検討チームの報告書、そして、この水増し問題・・・。これらすべては知的障害福祉に大きく関わる問題です。現実の問題にコミットしないのならば、協会は知的障害福祉の建前しか語っていないことになりますね。
問題提起する東京南部労働者組合・日本知的障害者福祉協会と、頬かむりしている協会と、どちらがソーシャルワークに相応しい行動をとっているのか誰が見ても明らかです。
コメントありがとうございます。それにしても、ひどい事態が明らかになったものです。私の記憶では、かつて厚労省の関係部局だったか、出先機関だったかで、障害者雇用数の捏造・虚偽報告があり、関わった幹部職員が刑事告発されたことがあったように思います。
さて、当の福祉協会では、現時点で声明は出されていないようですが、さすがにこのまま何も言わないで済ます訳にはいかないだろう、近々何かしらの意見表明があると信じていますが、そうだとしても、遅きに失しているのではないでしょうか?
知的障害者の法定雇用率への算定・義務化への運動は育成会が中心でしたが、福祉協会だって関わっていたのですから、知的障害福祉団体としての抗議・要望を早急に行うべきです。