書評『ゆかいな認知症—介護を「快護」に変える人—』

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『ゆかいな認知症—介護を「快護」に変える人—』講談社現代新書 2018

ノンフィクション作家・フリージャーナリストの奥野修司氏が認知症当事者の人達を取材した『ゆかいな認知症介護を「快護」に変える人(講談社現代新書 2018を読みました。この本には認知症初期の人たちのエピソード12話が収められています。
書名には「ゆかいな認知症」とありますが、別に認知症が「ゆかいな」訳ではなく、認知症でも生き生きと過ごしている人達のお話と、そんな当事者達に寄り添って共に生きている人達の「快護」の物語です。

本組合掲示板ブログをご覧になっている知的障害のある人達を支援する人ならばおわかりと思いますが、その人の抱える障害は一義的に定義できるものではないし、言うまでもないことですが、障害の有無に拘らず、その人がその人らしい感情や意志、自尊心を保ち続けていることには変わりありません。
しかし、知的障害のある人と接したことのない人達もそうですが、認知症を抱える人と接したことのない多くの人の認知症(者)観は、数年で人格変化や徘徊、退行、寝たきりになり、意思疎通が出来なくなるといった重症期の臨床像によるものがほとんどではないでしょうか。本書に登場する認知症当事者の語る言葉や想いから、それが認知症の一面だけを見た誤解や偏見であることを我々に教えてくれます。
また、本書に登場する当事者の方々の抱える認知症は、若年性アルツハイマー型認知症やレビー小体認知症、脳血管性認知症と様々あり、また「できること」「できないこと」の生活の困り感も十人十色だと言うこともわかります。

認知症を取り巻く医療技術では、抗認知症薬アリセプト(Donepezil)等の薬もいくつか開発され、進行を抑制させることができます。そして、また、社会との繋がりが認知症の進行を遅らせると言われています。この本に登場する認知症当事者の人達に共通するのは、家族や当事者グループと緊密な関係を持っていることです。そして、認知症当事者の運動に積極的に関わっていることです。
この本の帯には「おしゃべりな当事者だけが語れる、本音の本音」という謳い文句が書かれていますが、これには少々違和感を感じなくはありません。おしゃべりじゃない人達や無縁社会の中で孤立してしまっている認知症当事者の人達はたくさんいることでしょう。その人達にどのように社会参加を促し、必要な医療情報にアクセスできるようにするのかが、我々の社会に問われています。
社会から疎外されてしまった人へのinterventionが、我々Social Workに携わる人間の使命であり、それをsocial actionに繋げて行く。それが真の共生社会への実現となることでしょう。

本書にも書かれていますが、若くして認知症を発症した場合、それが労働問題に直結する場合があります。本書でも認知症により仕事上の大きなミスをしてしまったり、職場でのルーチンワークも困難になってしまい、医療機関を受診し、発覚するケースが紹介されていますが、本書の事例に登場する職場は比較的理解ある対応を取ってくれ、「できること」の能力を活かした部署で働いてもらっているケースが見受けられました。
そのような理解ある職場ばかりだといいのですが、そうは上手く行きません。若年性認知症とわかった時点で約8割の労働者が自主退職や解雇されているといいます。我々労働組合にとっても、このような場合、どのように雇用の継続を求めていくのか、本人が退職を選択した場合の今後の生活保障や再就職先のサポートが課題になりますが、これには国の認知症障害当事者の雇用施策への要望や同事例の労働者・労働組合での情報の共有化を進めていかなければなりません。

また興味深かったのは、本書に登場する当事者の方々が、自分の居場所がわからない等、失見当の対策に、スマートフォンやタブレットの地図アプリを活用していることです。今後、認知症当事者に、より使いやすい「できないこと」を補う機能やコミュニケーション・エイドの機能を持ったICT/IoT情報技術がもたらされることを期待します。

「病状告白後も“鋼の心臓”で堂々と生きる」組合員Kさん

本書には東京南部労働者組合(南部労組)の組合員Kさんも登場しています。
私が2015年12月に南部労組に労働相談に赴いた時に対応してくれたのが、組合員のAさんとKさんでした。
職場の状況をこれまでの経緯を含め訴えている私の取り留めのない話を一生懸命、物凄い勢いでメモしているKさんが印象的でした。学生時代、T警察署の取調室で取り調べを受けた際に、同じ様に物凄い勢いで供述調書作成のためのメモを取っていた刑事を、ふと思い出してしまいました*

* 私が“パクられた”訳ではありません。誤解無様為念。(笑)

私は他人の話を聞きながら手書きでメモを取るのがとても苦手で(これも一種の障害かもしれませんが、キーボードを叩いている方がまだ楽)、労働組合の相談員は凄いなぁと感心したものでした。しかし、今考えてみると、この時、既にKさんは認知症の自覚症状が現れていて、私の話を整理して理解するために懸命にメモを取っていたのかなとも思います。

まだ正式に組合加入する前なのに、南部労組の定期大会に参加したのは翌年2016年2月でした。その際にKさんは「若年性アルツハイマー病であることがわかった」と私に打ち明けてくれたのです。当時はとてもそんな様には見えなかったので、驚いたと同時に告知を受けたKさんはどれだけ辛いだろうと思いました。今後どうして行くんだろう?自分には何ができるだろうか?と当事者を目の前にして、障害福祉に関わっている自己の捉え返しを迫られる思いと困惑、どうしていいのかわからない自分の無力さに、歯痒く情けない思いをしたことを覚えています。

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『郵便屋の叛乱 反マル生と4・28—国を相手に闘った28年の記録—』彩流社 2008

本書にもKさんの経歴が書かれていますが、Kさんは郵政省の合理化運動の中で行われた1979428日の全逓信労働組合(全逓)の組合員の大量処分事件(通称 よん・にっぱ処分)で懲戒免職になった労働組合の闘士です。全逓本部の裏切りにも拘らず、職場復帰を求め、最高裁まで闘い抜いて勝利し、28年目にして不当解雇を撤回させ、職場復帰を果たした、まさに“鋼の心臓”の持ち主です。
南部労組の組合員も組合員Kさんの不屈の闘志と勝利に勇気付けられていることは間違いありません。

そして、今、Kさんは認知症と認知症を取り巻く社会との闘いに挑んでいます。自らの体験や想い、できること・できないことを発信し、同じく南部労組の組合員のSさん(元品川臨職解雇撤回闘争当該)と共に認知症当事者の運動を始めています。自らの境遇をものともせずに、社会に訴え続けていく、根っからの“活動家”の勇姿を見るにつけ、これまた感服させられます。

私たちも今は「健常者」であったとしても、これからどんな障害を抱えることになるのかわかりません。Tomorrow never knowsです。認知症当事者ができないことが増えてくると言ったところで、「健常者」と言われる人々だって何でも一人でできる訳ではありません。
病気や障害に対するstereotypeな見方を改めて、「できる・できない」を基準として社会にとって不要な人間という烙印を押す社会進化論を基とするmeritocracyに抗するため、病気や障害があっても人間らしい感情や尊厳は失っていないんだということを忘れてしまわないためにも、私たちは本書の12のエピソードから豊かな人間観を養う必要があるでしょう。

…The end

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