第1・第2回団体交渉には末吉事務局長は出席していた。それは事務局長として当然の職務であることは言うまでもない。その後、第3回団体交渉から逃亡を図るのだが、本記事を書いている現時点(2018年3月現在)で考えてみると、当該組合員への暴行パワハラ事件だけに限らず、第1回団交で組合に嘘の回答をしてしまい、引っ込みがつかなくなってしまった結果、協会は責任者であり当事者である末吉を団交に出席させられなくなったのも一因ではないかと思われる。当時は怪しい回答だなとは思っていても、嘘をついているとはさすがに思わなかった。
最初から誠実…と言うか正直に対応していれば、組合と当該から不誠実団交で不当労働行為救済申立などということにはならなかったのではないか。組織ぐるみの隠蔽体質がこのような余計な事態(使用者・労働者双方にとって)を生んだのである。
人間誰しも間違いを犯すし、組織は何かしら問題を抱えるものだ。間違いは正せばいいし、問題は今後の改善に役立たせればいいだけだ。そして、今後同じ間違いや問題が起こらないように努めるようにすればいい。
団交議題の就業規則変更も三六協定締結も、ちゃんとした手続きを踏んでいないのは、こちらも先刻承知なので、過去の反省に立ち、今後労働条件の変更については組合や職員と十分な協議の上、行うように労使で合意が得られれば(当たり前の話だが)それで団交の目的の70%くらいは達成できたのだ。
それができなかったということは、自らの無謬性が揺らぐことを恐れるあまり、場当たり的にテキトーな嘘をついてしまったということだろう。後々不味い事態になるとは想像しなかったのだろうか? 勿論、問題は初期対応の不味さにだけあるのではなく、その背後には基本的人権(憲法11条・13条・97条)の理解の欠如、労働基本権(憲法28条)や労使対等原則(労基法2条・労契法3条1)に関する無知があるのは言うまでもないことなのだが。
組織運営に関わる労働者と現場の業務を熟す労働者の両方がいなければ事業は成り立たない。どちらをやるにしても当然、人によって向き不向きがあるし、どちらが“偉い”と言った話ではない。当該自身はマネジメントはできない一職人、現場労働者だと自覚しているので、管理職などゴメンだ(協会も絶対にしないだろうし 笑)。ただ、自分たちが関わってきた仕事は小さな事だけれど協会に貢献してきたという自負はあるし、誇りも感じている。管理職だろうと役員だろうと、現場労働者を見下すような態度は許せない。
ところが、人の対等な関係や役割、多様な価値、個性が理解できずに、人に序列や格差を付けたがる承認欲求の強い人間がいる。
「前向きに一緒にやっていこうという姿勢」などと頓珍漢な理想論(?)が口を突いて出る事自体、“偉い”自分のやる事に文句を言うなという態度の表れであるし、かつて、彼らが言い放った言葉が、“事務局長は偉いんだぞ!”だった。呆れたので以前の記事でも揶揄させてもらったが、“出世”するまでに彼らのやったことや彼らの人間観・社会観を見ていると、申し訳ないが、軽蔑の気持ちしか起こらない。彼らの言葉を借りれば、態度も悪くなろうというものだ。
協会事務局の例を出すと幼稚過ぎて一般論にならないため、話を少し戻すが、業種に拘らず、事業・組織運営には人事労務管理も含まれるので、前述の労働法規の基本的な知識と理解は欠かせない。必要な専門知識や知識を得るための学力があれば組織運営が上手く行える訳ではないだろうが、しかし、組織運営に関わる者(使用者も労働者も)には、少なくとも軽蔑されないだけの基本的知識や知性、教養を備えていなければならないと、長年協会に勤務していてつくづく思う。
権力に近い立場に居る者こそ、少なくとも権利や法治主義、法の支配についての理解は欠かせない。以前の記事でも紹介したRudolf von Jheringの『権利のための闘争』( “Der Kampf um’s Recht”)は必読だ。
そして、人間社会の長い歴史から学ぶためにも、司馬遷の『史記』やEdward Gibbonの『ローマ帝国衰亡史』(“The History of the Decline and Fall of the Roman Empire”)、近代の考察としては、Hannah Arendtの『全体主義の起源(3全体主義)』(“The Origins of Totalitarianism”)の一部でも読んで欲しいものだ(前記2書は百科事典みたいなものだから、自分も全部読んでいる訳ではないけど)。当事者にとっては大事なことかもしれないが、使命や理念とは何の関係もない権力闘争で目障りな人間を排除して行った結果、不幸にして相応しくない人間が組織を牛耳るようになる。近代においては、不安定な人間集団に胚胎する全体主義の萌芽は暴政により、容易く人間の自由を奪ってしまう。そして、その結果は…。
残念なことに人間社会はこの繰り返しであり、現在進行形で職場も社会も国や世界を蝕んでいる。
「魚は頭から腐る」という俚諺がある。自分がそこに居る限り、それを指を咥えて眺めていることはできない。■
…The end