[集会報告]2・9刑法全都実 総会・集会「職場と過労うつ体験―休職・復職など―」【後編】

前編からの続きで、次の発言は東京南部労働者組合・日本知的障害者福祉協会の当該組合員から。すなわち私の鬱体験である。
告知でも記したように、確かに抱えていた仕事は結構あって、切羽詰まっていたのは確かだが、自分自身「過労」で鬱になったという自覚はないし、随分前のことでもあったので、果たして集会テーマに沿った話ができるかわかりませんよ…とは全都実のYさんに伝えていたが、最悪な状況を現在は脱しているので、復職と寛解に向かった体験ならば、ということで引き受けた。

三合労・鶯啼庵のM氏の様な現在進行形の切実で聞くのも辛い体験談ではなく、自身が自己流で行ったセルフケアと国が主導するメンタルヘルス対策について思うことでお茶を濁した感は否めないが、このブログをご覧になっている鬱でどん底にいる誰かの役に立てればと思い、折角なので(結構頑張ってまとめたから ^^;)発言内容を掲載したい(長文です)。


私の精神疾患病歴〜パニック障害(不安神経症)・鬱病〜

私はこれまで何度か精神神経系の病気にやられておりまして、受験等のストレスからか、1985から1986年にかけて、外出すると動悸や吐き気に見舞われるパニック障害(当時の診断は不安神経症)に悩まされたのが最初です。それが段々と酷くなり、大学1年の頃は通学は疎か、外出もほとんどできなくなった為、家族に促され地元の内科を受診しました。検査の結果、身体的には何の異常もなかったので、抗不安薬を処方されました。初めての精神科薬の服用は結構効き目があって、不思議なくらい不安が薄れていきました。それによって徐々に外出に不安を感じなくなるという、“セルフ”行動療法的アプローチ(系統的脱感作法)により、なんとか学生生活・社会生活を送れるようになりました。

時代は下って、1999年に職場内結婚、11月には長男が誕生しました。しかし、その前の夏頃から不眠・早朝覚醒に悩まされ、職場から近くて夜も診察していたクリニックを受診しました。最初のうちは、睡眠薬と抗不安薬で、一時的にはなんとかなったものの、当時、結構仕事を抱えていて、残業やサービス休日出勤をしたり、また、公私共に生活環境が変わったことや職場結婚の為、私か彼女かどちらかが退職するように言われ、身体的にも精神的にも負担が大きくなり、不安や焦燥、抑鬱が強まってきました。
抗不安薬から抗精神病薬や三環系抗鬱薬、選択的セロトニン再取込阻害薬(SSRI)に変更し、睡眠薬も色々試しましたが、薬の量や強さに連れて副作用にも悩まされるようになりました。

2000年になると、三環系抗鬱薬「トリプタノール(Amitriptyline Hydrochloride)」10mg×1錠 3回/1日が加わり、症状の進行に伴い、服用していた薬の副作用もあってか、朝の気分の落ち込み・無力感が次第に激しくなり、仕事に行けなくなる日が日増しに多くなってきました。業務内容も1部署1担当の一人仕事のようなものだったので、誰かが代わりに仕事を片付けてくれる訳でもなかったので、休んでしまった日は、出来ずに溜まった仕事は他の職員が帰宅した夜に、こっそりと職場に行き、済ませるか持ち帰って行うなどメチャクチャな勤務(?)をしていました。仕事と家事、育児を巡って彼女と屡々対立し、家庭も険悪な雰囲気になりました。そして何も出来なくなった自分に絶望し、希死念慮、すなわち、もう生きていても仕方がないと考えるようになりました。
そして遂に、遺書を書いたり、死に場所や方法を探していた自殺念慮・自殺企図が妻に発覚し、医師の元に連れて行かれ、医師が薬を増量。「トリプタノール」25mg×2錠3回/1日、SSRI「ルボックス(Fluvoxamine)」25mg×1錠2回/1日、睡眠薬「ダルメート(Flurazepam)」15mg、「エリミン(Nimetazepam)」3mg、「ハルシオン(Triazolam)」0.25mg、そして、抗精神病薬「レボトミン(Levomepromazine)」25mgまで処方され、仕事も病気休暇で暫く休むことになりました。
医師と相談し、職場にも連絡して2ヶ月後に職場復帰することになりましたが、2ヶ月という期間は仕事のことが気になって気が逸ってしまった所為で、今考えると早過ぎたなと思います。

さて、病休明けの出勤時にこれまで通り普通に仕事をしようと思っていたら、管理職から「ちゃんと病状を報告しなさい」「自らの健康管理を怠るな」「病気は完治したのか」等々と言われ、「そんなことはわかっていますよ、しかし…」と他人には鬱病の病状を理解してもらうのは無理なんだなと絶望的な気分になりましたが、復帰後も仕事内容はそれほど変わらなかったけど、残業禁止になるなど、当時の管理職達は一応の職場の復帰への配慮はしてくれました。
職場復帰したものの、結構な量の薬を服用していた為、作用・副作用で日中の眠気は消えず、仕事をしていても突然、寝てしまったり、また、調子の悪い朝は出勤できずに午後から出社、または突然休むことも屡々あり、有給休暇も使い果たし、休みは欠勤扱いとなり、年末の給与で調整されたのですが、ほとんど手取り額が無い状態でした。

2001年になって、SSRIの新薬「パキシル(Paroxetine Hydrochloride)」を処方されようになりました。この薬は副作用も少なく効いている実感(気分が上がらず下がらず常にフラットになる)があり、効果が良かった所為で、強烈な副作用のトリプタノールを徐々に減薬。仕事は相変わらず休みがちではありましたが、寛解に向かい、2007〜2008年頃にはほぼ、抗鬱薬を常用することが無くなりました。

2019年現在、組合活動で管理職・幹部らと対立していることから、職場で周りが敵だらけという、常に緊張状態にあるため、今でもたまに通院し、抗不安薬と睡眠薬を処方してもらい服用しています。また、昔から、過敏性腸症候群にも悩まされており、これも鬱と相まって朝調子が悪いこととも関係していましたが、現在、過敏性腸症候群の新薬「イリボー(Ramosetron Hydrochloride)」と食生活の見直しで症状はかなり落ち着いています。

職場復帰・日常生活を取り戻すために自らが行ったこと

zentojitsu20190209#2さて、まず、鬱から職場復帰や日常生活を取り戻すために、自己流で取り組んだことをお話したいと思います。これらに共通するのは、「このままじゃいけない」と感じ、何らかの自己変革が必要と自然に感じたからです。ただし、あくまで私の場合で割と上手く行ったというだけであって、万人にお勧めできることかどうかはわかりません。

まず、1点目は「行動に移す」ということです。
思索に耽っていたり、思い悩んだりしてゴロゴロしていても、身体を休めることくらいしか、あまりいいことはないんですね。休職中も最初のうちは暫く寝ていたんですが、いわば森田療法でいう絶対臥褥期のような感じですかね…それも飽きてきて、朝早起きして公園で縄跳びしたり、家では掃除をしたりしていました。また、少しでもポジティブな方向に意欲が湧いたり、少しでも興味が湧くことを思いついたら、とにかく 何かをやってみる“行動に移す”ということを試してみました。ただ、ふとしたきっかけで絶望感や孤独感を抱いたりすることもあるので、自殺へ向けてのマイナスの行動力に転換することもありますので注意が必要です。因みに、私の鬱病は単極性で、躁転して極端に活動的になるなどということはありませんでした。

2点目は「新しい居場所や気分転換の活動を見つける」です。
仕事や家庭など限定された人間関係の中での生活に支障が生じると、居場所を失い、居たたまれなくなる。そこから、希死念慮・自殺念慮が生じ、最悪の結果として自殺に至ってしまう可能性があります。私の場合、残業禁止で終業時間後の余裕ができたこともあり、格闘技の道場に入門したり、語学教室に通い始めたり、オートバイの免許を取ったりと、新たな活動や新たな仲間との出会いや交流の場を作り、気分の一新を図りました。

3点目は「自分は病気であることを自覚し、“開き直る”」ことです。
不安や焦燥、抑鬱を感じるのは人間の感情として当たり前ことで、これは多かれ少なかれ、人間ならば持つ感情です。特に鬱の場合は、強烈な感情を抱えたまま無理に出勤しても、まともな仕事ができるわけがありません。調子が悪いことで仕事を休むのは仕方がないことと、“開き直る”ことが大事だと思いました。自分は今、病気であることを自覚することが大事です。実際、職場のことを気に掛けると心中穏やかではないのは確かですが、そこは自分の健康の為に開き直るしかありません。

私の鬱の体験や克服への自己流の取り組みをご紹介いたしましたが、その基になる先行研究がありますので、それもご紹介したいと思います。

メランコリー親和型

先程、自分は「過労で」という自覚はないと言いましたが、自覚がないのには実は理由があって、ドイツの精神病理学者のフーベルトゥス・テレンバッハ(Tellenbach, H.)が『メランコリー』という本の中で、「メランコリー親和型」という、鬱になりやすい人の病前性格について書いています。
メランコリーというのは「抑鬱」のことですが、鬱と同義と思って差し支えないと思います。メランコリー親和型の人は、その信念や性格傾向から過度に「自分のやるべきこと」にのめり込んでしまいます。これは自覚せずに自らを「過労」に追い込んでしまっています。なので、外的要因も多分に含まれる中で「過労」であることも、自覚し難いのではないかと感じてしまいます。

幾つか本書の中から事例を紹介します。

メランコリー親和型の基本的特徴……「几帳面さ」と「自己の仕事に対する過度に高い要求水準」
仕事の世界の秩序……臨床例《働くということが私の生き甲斐なのです––そして、なにごともきちんと、正確にしないと気がすまないのです》
仕事の精度との悪循環の危険……臨床例《私は綿密すぎることが多いのです。そういったときに、どうにもならなくなるのです》→「……この特徴が多くの人を働きすぎへと追いやり、義務以上の仕事をして健康を害し、『神経がすりへる』原因を作り出している」
対人関係の秩序……「他人のために尽くす」という形で「他人のためにある」→「自分自身が自分の内容となることはできない」
メランコリー親和型の人の良心性……「他人から罪あるものとみなされることに対しても異常なまでに弱いという傾向が認められる。それは、そのときの相手の判断が間違っている場合にも同じことである」

全てではないものの、この臨床例や解釈は自分にも当てはまるところがあります。
メランコリー親和型の特徴である秩序への過剰な忠実さが、容易に自らを「過労」至らしめる原因となっている、バランスを欠いた偏った信念や思考が見て取れます。

メランコリー親和型の秩序の様相……「メランコリー親和型の人にはこの中庸がいかに欠けているかがよくわかる」「みずからの自己要求水準が高すぎて、自身非常に恐れている負債を負わされるはめに陥る可能性が、それだけ高いことになる。メランコリー親和型の人に彼の秩序世界の中庸のなさをはっきり気付かせて、それの修正を促すということは、病相期以外の時期での精神療法にひとつの可能性を与えるものでありうる」
抗メランコリー治療における感情調整法以外の段階……「(提起者 注:薬物療法以外にも)各症例ごとに患者の生活状況の全体をはっきり見てとる努力を通じて、患者の安定を立て直してやる養生法が、つまり健康管理が考えられなくてはならない」

これへの解決方法は次項の具体的な心理療法的アプローチに大きく関わるのではないかと思います。

認知療法・認知行動療法

…で、現在、鬱に有効な心理療法として大きな効果を上げていると言われているのが、アメリカの精神科医アーロン・ベック(Beck, A. T.)の認知療法やそこから派生した認知行動療法です。アーロン・ベックには『うつ病の認知療法』という、そのものずばりの著作もあります。私は研究者やカウンセラーではないので、その実践について詳しくは語れないのですが、大雑把にいうとこんな感じの心理療法になります。

認知行動療法とは……偏った否定的認知(思考と信念)が抑うつの主要な特徴であるとの視点から、患者の抑うつ的な思考を現実的に検討することを主眼とした心理療法。

うつ状態の認知モデル

状況/出来事例)「(たくさんの仕事を抱えていて)期限内に仕事が終わりそうにない」
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自動思考例)「仕事ができなかった。他の人はできているのに。自分は無能だ。 ; ; 」
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感情例)「焦燥・恐怖・絶望」
身体反応例)「体が重い・意欲が湧かない・動けない」
行動例)「少し横になってから、仕事に行こう」
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状況/出来事例)「午後から出社した」
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自動思考例)「上司に睨まれる。みんなの目が冷たい。仕事をするのがつらい。 ; ; 」
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うつの無限ループに……

認知行動療法は基本的に療法家が行う心理療法アプローチですが、その基本構造を理解しておくことは、鬱の当事者にも有効ではないかと感じます。兎角、鬱の人は置かれている状況や出来事から物事を否定的に類推しがちです。これを「自動思考」と呼んでいます。自然とその状況になったら頭に浮かぶ思考ですね。否定的な自動思考は必ずしも間違った思考とは言えませんが、他の思考の選択肢もあるということも十分に考えられることです。

「中立的・肯定的な状況でも、否定的な思考で認知の歪みが生じる。そのような思考を注意深く検証し、思考の誤りを修正し。気分や行動を改善していく。」―― J・S・ベック(著)/伊藤絵美・神村栄一・藤澤大介(訳)『認知行動療法実践ガイド―ジュディス・ベックの認知行動療法テキスト―第2版』星和書店 2015より

上の例でいえば、「期限内に仕事が終わりそうにない」ならば、自分だけができないのではなく、他の同僚だって同じ条件ではできないのではないか、そもそも無茶な量の仕事を抱えてしまっているのではないか、誰かに相談して何とかならないか…など、色々と考えられることはありますが、そういう考えが“一切”頭に浮かばないのは鬱状態で認知の偏り・歪み、ネガティブな「中核信念」があるのではと考えられます。鬱の無限ループに至るような思考からの脱却をカウンセラーと共に気付きを与え、行動変容し気分を改善していく可能性を持つものです。
厳密な治療にはもっと分析的な検証と専門家による指導が必要ですが、自分でも気付きを得ることは可能で、患者自身が行うセルフケアに関する方法も巷には多くの情報が紹介されていたりします。例えば、厚生労働科学研究費補助金こころの健康科学研究事業・精神療法の実施方法と有効性に関する研究の『うつ病の認知療法・認知行動療法(患者さんのための資料)』が参考になるのではないかと思います。
自分も薬物療法と共に、なるべくポジティブな方向に考え方を持って行けるように“セルフ”認知療法的なことを試みました。

…さて、うつの当事者のセルフケアについて、思うことを話してきましたが、この場には労働組合の方々が多くお集まりなので、「個人に還元し過ぎだ。階級対立を曖昧にするな!」とお叱りを受けそうなので(笑)、職場における取り組みについてもお話ししたいと思います。とは言っても、私の職場で何か取り組んでいる訳ではないので、国のメンタルヘルス指針から参考になりそうなところを拾い出してみました。

労働者が行うべき休職と復職の心構え(セルフケア)

先程まで私が話した内容と被りますので省略します。厚生労働省の「こころの耳 働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト 職場復帰のガイダンス(働く方へ)1.心の病気の治療と休業」なんかが参考になるので、ぜひご覧になってください。

事業主が講ずべき休職から復職への配慮(ラインによるケア)

病休や休職は、医師の診断があって、現状職務遂行が困難と職場が判断すれば比較的取得は難しくはないんじゃないかと思うのですが、セルフケア・休むこと以上に大事なことは復職の際の職場の受け入れ態勢、管理監督者によるラインによるケアです。
ここで引用しているのは、厚生労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課健康班「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」ですが、労働安全衛生法上の事業主が講ずべき配慮や職場復帰計画の模範様式まで網羅された手引きです。
ここで大事なのは、職場の受け入れ態勢の要となる「職場復帰する労働者への心理的支援」ではないかと思っています。何故ならば、鬱は心の病だからです。

「疾病による休業は、多くの労働者にとって働くことについての自信を失わせる出来事である。必要以上に自信を失った状態での職場復帰は、当該労働者の健康及び就業能力の回復に好ましくない影響を与える可能性が高いため、休業開始から復職後に至るまで、適宜、周囲からの適切な心理的支援が大切となる。特に管理監督者は、労働者の焦りや不安に対して耳を傾け、健康の回復を優先するよう努め、何らかの問題が生じた場合には早めに相談するよう労働者に伝え、事業場内産業保健スタッフ等と相談しながら適切な支援を行っていく必要がある。
管理監督者や労働者に対して、教育研修・情報提供を通じ、職場復帰支援への理解を高め、職場復帰を支援する体制をつくることが重要である。」

兎角この「手引き」は事業者側の目線で記載されたもの多く、復職に希望や不安を抱える労働者の側に立った記述は少ないので、管理職・同僚のメンタルヘルスに関する理解を促す取り組みは重要だと、当時を思い出しても当事者として感じることです。

私の場合こんな出来事がありました。休んでいる時に、1回上司が家に訪問し、どうしても私でなければ出来ない仕事があるから、病休中だけど1日だけ職場に来て、仕事をしてくれないかと頼まれた時がありました。私も仕事のことは気になっていたので、それを引き受けて、1日職場で仕事をした経験があります。これは私個人にとってはとても嬉しかったことで、休んでいるけど、自分は職場で必要とされているんだと安心感を感じたものです。その時は職場の同僚も私のことを気遣ってくれていた様にも思います。
なので、復職後にいきなり週5日のフルタイムで働くのではなく、週3日や短時間勤務で心と体を慣らす様な勤務形態で脱感作し、スモールステップでの職場復帰を果たすことは有効ではないかと思っています。

アメリカ国立労働安全研究所の「職場のストレス予防」から

ここまでお話ししたのは日本の話ですが、興味深いのはアメリカのメンタルヘルス対策です。
アメリカは国を挙げて1940年代から労働者の安全衛生対策に取り組んでいて、その中でも有名なものとして、Employee Assistance Program(従業員支援プログラム)、略してEAPがあります。2006年の調査ではアメリカの企業の凡そ71%がEAPを導入し、2001年調査では8,020万人の労働者がEAPを利用し、社内外で電話やメールで相談でき、必要に応じて医療機関やカウンセリング機関、弁護士、コンサルタントに繋げるサービス受け、企業へのコンサルテーションもなされるようになっている様です。近年の日本でも社内外でEAPによる労働者のメンタルヘルスケアに取り組んでいる企業も現れているようですが、私の職場も私自身も利用したことがないので実情はわかりません。
しかし、アメリカでは、労働者のメンタル不全は企業の経済活動の生産性の低下に直結し、企業全体の活動に影響を与え、競争力の低下を齎すリスクと捉えられていて、組織のリスクマネジメントへの取り組みの一環とされています。日本の様な「〜に努める」とか「〜が望ましい」とか、掛け声だけのメンタルヘルス指針に比べて、労働者のメンタルヘルス対策に取り組まなければならないように企業のインセンティブを刺激しているところが、実効性の面から有効な取り組みではないか、アメリカの労働者の安全衛生対策の歴史的な厚みを感じます。

アメリカの国立労働安全研究所の「職場のストレス予防」に関するウェブサイトを覗いてみると、そこでは健全な職場に必須なこととして、ストレスマネジメント(Stress Management)と組織変革(Organizational Change)の2つが挙げられています。ここではEAPなどによる労働者自身のストレスマネジメントだけに頼り、ストレスの根本原因である職場環境や労働条件に焦点を当てなければ、その効果も短命に終わってしまうと指摘され、組織変革の重要性が説かれています。

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Preventing Stress at Work: A Comprehensive Approach
“How to Change the Organization to Prevent Job Stress”

・Ensure that the workload is in line with workers’ capabilities and resources.
・Design jobs to provide meaning, stimulation, and opportunities for workers to use their skills.
・Clearly define workers’ roles and responsibilities.
・Give workers opportunities to participate in decisions and actions affecting their jobs.
・Improve communications-reduce uncertainty about career development and future employment prospects.
・Provide opportunities for social interaction among workers.
・Establish work schedules that are compatible with demands and responsibilities outside the job.

–– CDC/The National Institute for Occupational Safety and Health (NIOSH) “STRESS…At Work”

職場のストレス予防:包括的アプローチ「仕事のストレスを予防する組織の変え方」

・労働者の資質や能力に見合った仕事量を確保する。
・労働者の技能を発揮するために、その意味や、意欲を刺激し、その機会の提供ができる仕事をデザインする。
・労働者の役割と責任を明確にする。
・自らの仕事に影響を及ぼし得る決定と行動に労働者が参画する機会を与える。
・キャリア形成や雇用の将来的見通しの不確かさを取り除くコミュニケーションを増やす。
・労働者を中心とした社会的交流の機会を提供する。
・仕事以外での要求や責務を反映させた勤務表を定める。

中々素晴らしいではありませんか。私の職場は下位の者に、例えば私のような“ペイペイ”のことですが、批判されるのを恐れて、コソコソと物事や方針を決め、「えらい上司が決めたから、従え!」などという、意思疎通もまともに図れないディスコミュニケーションな職場を考えると、何とも羨ましい職場変革の指針ですね。

国の施策はこうなんだけれども…

さて、最後に、再び日本の職場の現実に戻ると、鬱で体調不良の労働者の職場復帰に向けて、厚生労働省が掲げているような「良い」取り組みをしてくれるような職場ばかりだといいのですが、そうとは限らないのが現状じゃなかろうかと感じます。
労働者が50人以上の職場では、労使の代表から安全委員会や衛生委員会を設置して、対策を講じなければならないようですが、私の職場は10数名の小規模な職場なので、そのような設置義務がありません。また、ストレスチェックの義務もありません。
しかし、労働者のメンタル不調は現実問題として、最悪、解雇や退職勧奨で自己都合退職に追い込まれる可能性もあり、それを直接禁じる法律もありません。勿論、いきなり解雇などということがあれば、解雇権の濫用になりますし、労働契約法上、安全配慮義務違反にもなりますが、鬱の場合、常に再発の虞があります。長時間労働やサービス残業が常態化しているような劣悪な職場環境では、容易に再発することになるでしょう。私も数年前まで、年度末の忙しい時期には残業やサービス休日出勤、持ち帰りの仕事と、月に100〜150時間の時間外労働を余儀なくされていたこともありました。今、考えるとよく鬱が再発しなかったなと思います。
それは兎も角、使用者側は「必要な措置を講じた」と嘯いて満足にやらずに、労働者が鬱を再発して就業不可能となった場合は、解雇される虞は十分にあります。

(解 雇)
第24条 任命権者は、職員が次の各号の一に該当する場合においてはこれを解雇することができる。
(4)心身の故障のため職務遂行に支障をきたすとき

―― 公益財団法人日本知的障害者福祉協会の就業規則から

このような就業規則は、福祉協会だけではなく、他の職場にもあろうかと思います。公務員などは分限処分・分限免職として規定されていたりします。

国が示した「理想的」なメンタルヘルス指針も労働者・鬱の当事者自身が声を上げて、現実の職場において適用されるようにその実現を求めていかなければ、絵に描いた餅に過ぎなくなってしまいます。しかし、鬱でどん底にある労働者・当事者が声を上げられるだけの心の余裕があるかどうか…かつての自分を思い起こせば、なかなか難しいのではと思います。

アメリカのようなシステマティックなEAPがなく、いや、あったとしても、使用者側の言い成りになってメンタル不全の労働者に退職を勧めたり、また、戦前からの“大和魂”的な精神論至上主義や“空気を読むこと”が暗黙の了解になっている日本社会では、「メランコリー親和型」の人達は過重労働でも自責の念に駆られて、職場復帰を諦めたり、再発で解雇されたり、不本意に自主退職に追い込まれたり、誰の支援もないままに過労の末に自殺してしまった過去の電通社員の方々のような労働者が出てきてもおかしくありませんし、そういう悲劇はこのままでは無くならないかもしれません。

そこで、メンタル不全の労働者の仕事への意欲やエンパワメントを引き出して、サポートできる体制作りや職場での休職・復職支援、安全配慮を労使でルール化するために経営に働きかける労働組合や労働者の立場に寄り添うことができる産業カウンセラーやソーシャルワーカーの育成と連携が期待されるのではないでしょうか。


と、こんな感じで提起を終えた。

この後は、意見交換の場となった。実際に労働問題として取り組むとなると、休職の手続き(就業規則に休職に関する規程があるかどうかも含めて)や休職中の所得をどう確保するか、健康保険の傷病手当金の申請、三合労・鶯啼庵のM氏の様に労災申請など、復職に向けた職場の受け入れ体制をどう作っていくのか使用者側との交渉など、心身共に不調で当該不在のままで要求を代弁代行していくのは労働組合としてもかなり荷の重いことである。
加えて、鬱の当事者が回復期にあればまだいいのだが、急性期にある場合は家に閉じ籠って居ざるを得ないため、労働相談・対策会議を持つこと、後々の団結形成自体に困難が伴うことが当事者・組合側双方の話題となった。
また、鬱であることを話してもらうことに当事者として抵抗は無いのか、という質問も有り、病気のことや立ち入ったことを聞くのは非当事者として躊躇いがあるということがわかった。成る程そうか。これには当事者としては全く気付かなかった。「いや、是非聞いて欲しいんです。何故なら、誰にも理解してもらえないので、話せる機会があるならばいくらでも話します」と答えた。

これといった結論が出る様な問題ではないが、思いを話し合える機会を作ってもらえたことはありがたい。メンタルに不調を来した労働者と労働組合との今後の繋がりに期待したい。

集会後、主催者・提起者で打ち上げ、中野の繁華街で軽く一杯(私は元々お酒は飲めないが)。本当は精神科薬にお酒はダメなのだが、これも鬱の当事者には辛いところだね…。

…The end

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