[集会報告]3・12あきる野市中央公民館主催・市民企画講座「優生思想とわたしたちの社会──強制不妊手術の歴史から考える──」と高裁勝訴判決その後

2022年3月12日(土)13:30〜16:00、東京都のあきる野市中央公民会主催・市民企画講座として、利光惠子氏(立命館大学生存学研究所 客員研究員)によるオンライン講演が開催された。

以前、本組合掲示板BLOGで本講座の告知をした時にも述べたことだが、この企画は東京都の知的障害者入所施設の施設の職員の方が、利光惠子氏執筆による、月刊誌『さぽーと』2020年8月号から12月号に5回に亘って連載された「優生思想と現代──強制不妊手術から考える──」を、障害福祉関係者に限らず、一般市民にも知ってもらいたいという熱意から、施設のある地域のあきる野市・日の出市民有志と共同で企画し、あきる野市中央公民館主催の市民企画講座として開催されたものであった。

当該組合員も月刊誌『さぽーと』のこの連載企画に関わっていたことから、市民企画講座の趣旨に賛同し、利光惠子氏と企画者との繋ぎ役をほんの少しだけ担わせてもらい、「優生思想を考えるあきる野・日の出市民の会」の尽力により、この度この講演が実現の運びとなった。

講演内容は、そもそも「優生思想とは何か」から始まり、日本における強制不妊手術の歴史的経緯と概要、どの様にして強制不妊手術が行われたのか(現在、全国で闘われている国賠訴訟の原告被害者等からの証言を基にした強制不妊手術の実態)、当時の公文書から見えてきた旧優生保護法運用の実際、そして、優生手術からの被害者の人権回復を訴える、というお話が中心となった。

月刊誌『さぽーと』の連載でも詳細に触れられてはいるが、旧優生保護法には「不良な子孫の出生防止」という公益上の目的があって、都道府県優生保護審査会の決定に不服があれば再審査可能なのだから、手続き的には人権に配慮している、というのが行政の言い分であったのだが、一方、本人の意思に反してでも「真にやむをえない限度において身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許される場合があると解しても差し支えない」*とされ、その不妊手術によって齎される重大な結果を本人に理解させることなく、強制的に行なわれたものであった。

* 「優生保護法の施行について」厚生省事務次官通知 1953年

当該組合員はオンラインで参加

特に本講演で紹介された強制不妊手術を受けさせられた多くの人達の証言は、余りにも衝撃的なものであり、どうしてその様な残酷なことが国家主導の下に行われたのかと、驚きと怒りを禁じ得ないものであった。
また、この旧優生保護法による強制不妊手術は、当時の障害者施設も深く関わっており、当時の施設利用者の意思に反して、施設側の処遇上・管理上の都合により行われていた実態も紹介されていた。

その後、1980〜1990年代にかけて、旧優生保護法による優生手術は、国内外からの批判を受けたが、国は「当時は合法」という姿勢を崩さすことはなかった。

この様な情況の中、旧優生保護法による強制不妊手術に対して、被害者から、2018年1月に仙台地裁に「旧優生保護法は違憲」だとして国家賠償訴訟を提起されたことをきっかけに、全国で国賠訴訟が提起された。
一部の地裁判決では「旧優生保護法は違憲」との判断が示されたが、損害賠償請求に関しては、全ての地裁判決において、除斥期間(20年)の経過を理由に、「損害賠償請求権は消滅した」として、原告の請求を棄却したのだった。
原告等に立ちはだかる「除斥期間」の壁は最早乗り越えられないのか…と当該組合員も感じていたところだった。

しかし、ここに来て、画期的な控訴審判決が下された。
2022年2月22日、大阪高裁では「除斥期間」の壁を突破する判決で、違憲性を支持するばかりか、除斥期間を適用することは、著しく正義・公平の理念に反するとして、除斥期間の適用を制限し、国に対して原告への損害賠償を命じた。
さらに、本講演会の前日、2022年3月11日、東京高裁でも原告側に1,500万円の損害賠償を認める勝利判決が下されたのであった。

特徴的だったのは、旧優生保護法による優生手術の違法性と被害者救済の思いを語った東京高裁・平田豊裁判長の所感で、全国で闘われている旧優生保護法訴訟において、その責任の所在が何処にあるかを問うと共に、子を産めない人への差別が助長されることを危惧したものであった。
本講演でも利光惠子氏は「子をもうけることのできない人たちに対する差別を確認し、または助長することとなり、その人たちの心情を傷つけることがあってはならない」「差別のない社会をつくっていくのは、国はもちろん、社会全体の責任」と所感で述べたことを高く評価していた。
参考までに、以下に転載する。

 控訴人は本件優生手術により、憲法が保障する平等権、幸福になる権利を侵害され、子をもうけることのできない身体にされました。しかし、決して、人としての価値が低くなったものでも、幸福になる権利を失ったわけでもありません。
 「優生手術は被害者の幸福の可能性を一方的に奪い去るものである」等と言われることがありますが、子をもうけることのできない人も個人として尊重され、他の人と平等に、幸福になる権利を有していることは言うまでもありません。
 優生手術が違憲・違法なものであること、その被害者に多大な精神的・肉体的損害を与えたことは明確にされなければなりませんが、これに対する憤りのあまり、逆に、優生手術の被害者を含む、子をもうけることのできない人たちに対する差別を確認し、または助長することとなり、その人たちの心情を傷つけることがあってはならないと考えます。報道等の際にも、十分留意していただきたいと思います。
 控訴人には、自らの身体のこと、優生手術を受けたこと、本件訴訟を提起したこと等によって、差別されることなく、これからも幸せに過ごしてもらいたいと願いますが、それを可能にする差別のない社会をつくっていくのは、国はもちろん、社会全体の責任であると考えます。
 そのためにも、優生手術から長い期間がたった後に提起された訴えであっても、その間に提訴できなかった事情が認められる以上、国の責任を不問に付すのは相当ではないと考えました。──東京新聞「旧優生保護法訴訟で原告側に1500万円の損害賠償認める 東京高裁、大阪に次ぎ2例目」(2022.3.11)

講師の利光惠子氏は講演を次の様に締め括った。
障害のある人に「不良」の烙印を押し、障害者を劣ったものとみなす優生思想を社会に広く植え付けて、その人達の基本的人権を踏みにじってきた。彼等の全面的な人権回復を実現しなければならない。この様な歴史から、今も連綿と続く、病や障害を理由に不妊手術や中絶を強いた考え方や社会の在り様を、私達自身が問うことでもある。
そして、障害を理由とする不妊手術を正当化した考え方は、現在、急速に進行する出生前検査等の“いのちを選別する技術”の開発・普及に直接つながっているのではないかとし、新たな優生思想の萌芽といえる新型出生前検査(NIPT)の増加を指摘した。

この後、会場で視聴している参加者やオンラインの参加者からの質疑応答があり、利光惠子氏はその質問に丹念に答えていた。
当該組合員も連載執筆と講演の御礼方々、優生思想は、優生学や科学思想、生命倫理学等の学術的・科学的装いを伴って現れ、「本当にそうなのだろうか?」「なんか変じゃないか?」と思っても、それに対抗する理論構築を行なうことは仲々難しく、例えば、生命倫理学者 J. Fletcherは「IQ20以下は人間ではない」**と述べている様に、アカデミックな権威の下に、命の価値の選別に納得してしまう一般市民がいてもおかしくはない。科学技術の発展とそれによって齎されてしまうであろう悲劇にどう向き合い、どう抗うべきかと、質疑応答で利光惠子氏に質問したところ、「…優生思想の核にあるのは障害者差別だということ。この様な思想には強く反対すべきだ」とストレートな回答を頂戴した。もやもやとしていた自分の思いがすうっと晴れた思いだった。

** 原文は次の通り。── Any individual of the species homo sapiens who falls below the I.Q. 40-mark in a standard Stanford-Binet test, amplified if you like by other tests, is questionably a person; below the 20-mark, not a person. Homo is indeed sapiens, in order to be homo. ── Fletcher, J. “Indicators of Humanhood: A Tentative Profile of Man” The Hastings Center Report Vol.2, No.5 (Nov.,1972), pp.1-4
津久井やまゆり園事件の植松「死刑囚」の思想と大差無いと感じるのは当該組合員だけだろうか。

講演後の参加者アンケートでは、以下の様な感想が寄せられていた(一部紹介)。

「ものすごい人権侵害がおこなわれていたのに社会が鈍感だった。やはり優生思想の根深さを感じる。国がそれをすすめてきたという責任を感じてほしい。上告に怒りを感じる。障害者権利条約の、その人がどんな状態でも人として尊重される、それが保障される社会をつくることで優生思想を打ち破るしかないかと思う。」

「過去における強制不妊手術の実情を知りおどろきました。2/22***と昨日****の勝訴判決は、一つの光が見えたようでうれしい。今後の他の控訴審にも影響大と思う。人間の生命に格付けすることは絶対に許されない。沢山の過去の資料を読んでおどろいたこと。非常に勉強になりました。被害にあった方々、仮名の方々の経験(実情)を読み、驚きと怒りと、本人の心情を察すると心がいたいです。人間の気持ちの中にやまゆり園でおきた事件の加害者の思想もあることがこわい。人権の尊重、憲法の中で最も尊重されねばならない。」

*** 旧優生保護法国賠訴訟 大阪高裁判決
**** 旧優生保護法国賠訴訟 東京高裁判決

「遺伝性でない精神病患者や知的障害者、北さん*****のような教護院入所児童も強制不妊手術の対象とされたことは、優生保護法が不良な子孫の出生防止と母性保護の目的だけでなく、社会秩序の維持のための保安処分としても運用されたのだと思った。予防拘禁よりも残酷な究極の保安処分だと思う。事実、日本精神衛生会と日本精神病院協会は精神障害者への優生手術拡大のための予算措置を1953年に厚生省に連名で陳情している。私は青い芝の会の羊水検査反対やバス停での実力行動について、学生時代には否定的な見解を持っていた。30年以上経って、当事者の異議申し立てがなければ優生保護法の廃止もバリアフリーやユニバーサルデザインも、さらには障害者権利条約の批准もなかったと思う。当事者の声を聴くことの大切さに気付くのに長い時間がかかったと思う。」

***** 旧優生保護法国賠訴訟原告(東京高裁控訴人)の北三郎(仮名)氏のこと

本講座はオンラインで14人、あきる野市中央公民館での視聴者(スタッフの方を含め)12人が参加された模様。
オンラインの利点により、地域のみならず全国からの参加を頂け、優生思想に基づいて誤った施策が行なわれた実態を多くの方々に知って頂けたことはとても良かったと思う。
運営に尽力された日の出市民・あきる野市民有志の方々に感謝申し上げたい。

政府は上告の取り下げを!

さて、大阪高裁と東京高裁の画期的な被害者救済判決に対して、政府は両判決を不服として最高裁に上告を行なった。障害者団体や人権擁護団体から、高裁判決を真摯に受け止め、上告を断念するよう声明や要望が出されていたにも拘らずだ。
高裁判決支持や上告取り下げを求める幾つかの団体の声明・要望を取り上げてみる。

JDF(日本障害フォーラム)「優生保護法訴訟大阪高裁判決に関する声明」
JD(日本障害者協議会)「優生保護法訴訟東京高裁判決に対する声明 政府は東京高裁判決を上告するな!大阪高裁判決の上告を取り下げ、優生保護法被害の全面解決を」
JD(日本障害者協議会)「代表談話 優生保護裁判・東京高裁判決上告に抗議します」
きょうされん「政府の東京高裁判決に関する上告への抗議声明」
DPI日本会議「旧優生保護法訴訟東京控訴審判決に関するDPI日本会議声明」
「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム「優生保護法被害国賠訴訟東京高裁判決(2022年3月11日)への上告を絶対に行わないでください そして、同大阪高裁判決(2022年2月22日)への上告を直ちに取り下げてください」
全日本ろうあ連盟「優生保護法裁判・東京高裁判決を受けて(声明)」
全国手をつなぐ育成会連合会「旧優生保護法による強制不妊手術大阪高裁・東京高裁の判決受け入れと早期の被害者救済を求める要望書」

過去に国が推し進めた優生政策の誤ちを認め、直ちに被害者への謝罪と補償が行われる様、我々は旧優生保護法国賠訴訟の動向に注視していかなければならない。

…それにしても、公益財団法人日本知的障害者福祉協会は旧優生保護法訴訟について、団体としてこれまで何の声明も発表していない(できないのか?)。自らの機関誌に連載していたのに、なんなの?読んでないのか?ソーシャルワーク実践団体を標榜してたんじゃなかったっけ?

…The end

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