書評『ともに生きる──僕の自立生活と人生のありのまま──』

「共に生きる」や「共生社会」、この言葉を見聞きしない日はありません。この様な社会を目指す在り方に異議を唱える人はほとんどいないでしょう。しかし、誰からも異論が出ない心地良い言葉の氾濫に、私は訝しい思いを抱きます。

「自立」や「自立生活」もそうです。2005年に成立した障害者自立支援法は障害者の自立を謳いつつも自立概念の深化も疎かに、誰も反対しない・できない言葉を使ったその法律の内実は、障害福祉の公費負担削減を目論んだものだったからです。

もう一度考えてみましょう。
「ともに生きる」や「自立生活」って何だろう?
今回ご紹介する本は新たな視座を与えてくれるかもしれません。

東京南部労働者組合(南部労組)副執行委員長でもある鈴木敬治さんの近著『ともに生きる──僕の自立生活と人生のありのまま──』は、脳性麻痺による障害を負い、それが故の社会的障壁に立ち向かった、自身の闘いと自由な生き様を赤裸々に語った半生記です。
障害の有無を超えた共生社会の実現や障害者の自立生活がいかに荊の道であり、闘いなくして勝ち取れないものなのかが良く解ります。この闘いは鈴木さんを一躍有名にした行政訴訟ばかりではありません。「健常者」優位の社会の在り方であったり、支援者・障害当事者同士の組織内であってもそうです。

本書は2部構成となっており、第1部は鈴木さんの生い立ちから青年期の思い、自立生活を始めるまでの様々な人達との出会いについて書かれています。
第2部は「鈴木敬治さんと共に移動の自由をとりもどす会」結成から東京都大田区との第1次・第2次行政訴訟、障害当事者による訪問系事業所の立ち上げ、そして入院時介助、「65歳」の障害福祉サービスから介護保険への移行問題など、最近の闘いが綴られています。
第2部の各行政闘争は、私も大体の内容は知っていましたが、障害者の自立生活の何が問われていたのか、改めて時系列を整理して理解することができました。
また、鈴木さんの自立生活を巡るエピソード、闘争の裏事情(下世話な興味で申し訳ないのですが)も、大変な苦労や葛藤があったんだなぁ…と思わされます。

…とは言え、「ともに生きる」ことや「自立生活」の苦難ばかりが綴られている訳ではなく、第1部で描かれている青年・鈴木敬治の、よしだたくろうの“青春のうた”を思わせる、heartwarmingな読み方もできます。*

* 鈴木敬治さんはシンガーソングライター・吉田拓郎のファンとのこと。

尚、本書の挿絵は南部労組組合員の神矢努さんが描いています。神矢さんは、以前本組合掲示板BLOGで取り上げた、書評『ゆかいな認知症──介護を「快護」に変える人──』の中に登場する「組合員Kさん」のことです。
当該記事にも神矢さんの経歴について記していますが、神矢さんは郵政4・28処分解雇撤回闘争を闘い抜いた後、若年性認知症(アルツハイマー病による認知症)を患い、今も尚、仲間と一緒に認知症であっても「ともに生きる」社会のために闘っています。

障害者の移動の自由や自立生活を阻むものについて、本組合掲示板BLOGでも、[閑話休題]移動の自由のために、いつまで障害当事者は頑張り続けなければならないのか?〜フクシノチカラ「障がい者の旅がありふれた街の風景となるように」『さぽーと』2021年5月号から、思い出すことなど〜として取り上げ、施設や設備のバリアフリー化は幾らか進歩を見せてはいるものの、「健常者」側が特別な配慮として行なっているその無自覚さについて言及しました。
鈴木さんも本書の中で「こころのバリア」を如何に取り除くことができるかを問うています。

自由に自分らしい生き方を貫くのは大変です。
しかし、誰もが自由に自分らしく生きたいという思いを内包できる社会こそ「ともに生きる」共生社会の原点であり、「自立」生活はその実践ではないでしょうか。
本書をお読みいただくと、鈴木さんの筋の通った生き方から学ぶことは多いはずです。
鈴木さんと同時代を生きた人はもちろん、若い人にも是非ご一読をお勧めします。

…The end

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