『さぽーと』2021年5月号の特集は「◯福連携」。「“◯”って何だよ?」と思う読者もいたかと思うが、“◯”は数学で謂うところの未知数“𝒙”という意味である。ただ、本号特集記事の“◯”は“農”がほとんどではある(同号「用語解説」も同様)。
官民挙げての「農福連携」もそれ自体は他産業と障害福祉サービスの連携・協働の一形態であるが、昨今、農福連携を利用して企業の障害者雇用を代行するビジネスモデルで収益を上げている企業も現れ、障害者と“共に”働くという共生社会の理念から乖離していると言わざるを得ない情況も生まれている。この問題については、いつか本組合掲示板ブログで当該組合員の考察を記してみたい。
「当事者が声をあげていかなければ何も変わらない」
…ということで、本記事で取り上げたいのは、特集ではなく、コーナー「フクシノチカラ」の「ひまわり号」を走らせる倉敷実行委員会・会長代理の西尾隆弘氏による「障がい者の旅がありふれた街の風景となるように」である。
寄稿頂いた記事によると、「ひまわり号」とは、日頃旅に出る機会の少ない障害者と医療・福祉の専門家やボランティアの人々が、共に列車を貸し切って1日の旅を楽しむ運動で、その発祥は、1982年に東京で初めて「ひまわり号」運行したとのこと。そして、1985年5月に岡山県で初めて運行され、12輌編成の臨時列車に障害者266名(内、知的障害児・者31名)、家族188名、ボランティア493名の合計947名が乗り込んで、広島に向かい、広島平和記念資料館を訪れたことから現在に至るまで(毎年「ひまわり号」を走らせることが倉敷実行委員会の目的とのこと)のエピソードが綴られている。
恥ずかしながら、この様な運動が行われていることを知らなかったので、とても興味深く原稿を拝読させて頂いた。
本文中にある「平和なくして福祉なし」という旅の目的から広島の地を選んだこと、「障がい者の旅で理不尽な場面に遭遇しなかったわけではありません。当事者が声を上げていかなければ何も変わらないといえます。…(中略)…私たちがやっていることは微力ではありますが、けっして無力ではありません」という言葉に、30年以上も取り組んでいる運動は決して無力どころか微力でもないし、力強い運動として社会を変えてきた実践に、大いに心揺さぶられる。
是非、お読み頂きたい記事である。
さて、『さぽーと』2021年5月号の編集作業を行っている最中に、骨形成不全症という障害が有り、車椅子ユーザーのコラムニスト・伊是名夏子氏が「JRで車いすは乗車拒否されました」というブログ記事を投稿し炎上。当初、賛否両論…というよりも“否”の方が多く、叩かれてまくっていた。
また、これに類する車椅子利用者の乗車問題について、『さぽーと』2020年12月号に、編集委員の三瀬修一弁護士がコラム「無人駅は障害者差別?」の中で、2020年9月に車椅子利用者が、利用している駅が無人駅となったことから、事前連絡で人員を派遣する様に求められたことを障害者差別であるとしてJR九州を提訴*したことを取り上げ、ここでも原告と代理人弁護士が「わがまま」だとして非難に晒されていることを取り上げている。
*「無人駅とバリアフリーの関係性「好きに乗り降りしたい」」朝日新聞デジタル 2020.11.22
「わがまま」だの「クレーマー」だの「感謝の気持ち」だの「義務を果たさず、権利ばかり主張している」だの、といった批判は此れ迄、似た様な障害者の公共交通機関利用問題でも起こっていることだ。
先ず「権利を行使するには義務を果たすことが伴う」(権利⇒義務)と言った一見正しそうな命題も、その対偶「義務を果たさなければ、権利を行使できない」(¬義務⇒¬権利)を考えてみれば、如何におかしな論理かが解る。**
その他、妬みややっかみもあれど、感謝がどうこうという心情の問題ではなく、正当な権利が侵害されていることが問題なのである。正当な権利行使が非難の集中砲火を浴びてしまう現状において、その意識のズレと社会的にどの立ち位置からこの様な批判が生じているのかを見なければならない。
** 協会事務局長の末吉は2013年の出来事、2015年の出来事でも、たびたび「権利ばかり主張して、義務を果たしていないじゃないか」と、この乗車拒否に遭った当事者のブログ投稿への批判者と同じ論理で、偉そうに宣っていたが、協会事務局の人事労務管理責任者として全く義務を果たしていないことが後の団交で判明。そして、未だに団交から逃亡し続けている。彼はこの車椅子利用者の乗車拒否、障害者の権利侵害についてどう考えているのか、是非、次号の『愛護ニュース』の「浜松町から」でお題として取り上げて欲しいものだ。
思い出すことなど〜ドラマ「車輪の一歩」〜
上記「フクシノチカラ」の記事や車椅子乗車拒否告発ブログ炎上から、ふと思い出したことがある。それは、1979年にNHKで放送されたドラマ「男たちの旅路」シリーズの中の「車輪の一歩」である。
このドラマは、社会や自分の置かれた境遇に対する怒りから少々屈折した思いで生活する車椅子利用の身体障害者の若者達と純粋に親切心で接する警備員達の交流、脊髄損傷の為、車椅子で生活する若い女性が失敗や親との確執を乗り越えて、街に出る決意をし、駅に向かうまでの過程を描いた話だ。

NHKドラマ「男たちの旅路」第4部第3話「車輪の一歩」(1979.11.24放送)のラストシーンから
シリーズ通しての主人公(?)である警備員の上司役、歌手・俳優の鶴田浩二の演技の大根役者振りも手伝って(ファンの方には失礼…これは当該組合員の感想)、「君達が街へ出て、電車に乗ったり、階段を上がったり、映画館へ入ったり、そんなことを自由に出来ないルールはおかしいんだ。一々、後ろめたい気持ちになったりするのはおかしい。私は、むしろ堂々と胸をはって、迷惑をかける決心をすべきだ」と車椅子の若者達を鼓舞したり、我が子可愛さから、娘が一人で外出すること拒む脊髄損傷の女性の母親を諭すシーンは、とてもただの警備会社の社員とは思えない活躍で、不自然な感じもしないではなかったが(笑)、当該組合員が子供の頃にこのドラマを観て、衝撃を受けたことは忘れられず、今でも鮮明に覚えている。
古いドラマなので、観たことのない若い読者もいるだろうから、たまにNHKで再放送される時がある様なので、機会があればこちらも是非ご覧頂きたい。
ドラマ「車輪の一歩」が放映された1979年当時と比べて、徐々に、公共交通機関や都市空間はバリアフリー化され、法整備〔高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー法) 2020年改正〕もされている。しかし、上述の様に、障害があっても普通に街に出て、公共交通機関を使い、旅を楽しんだりすることが、物理的にも心理的にも制約を受け、当事者が頑張らなければ権利を行使できない情況はあまり変わっていない。
所謂「健常者」にとっての利便性や「健常者」の都合で作られた環境やシステムは、何らかの困難さ・生き辛さを抱える人にとって、そちらの方が“わがまま”で“迷惑”なものなのだ。この特別な配慮を必要としない「健常者」の無自覚さに、障害当事者はいつまで頑張り続けなければならないのだろうか?
「人間の社会的存在がその意識を規定する」
蛇足だが最後に、人の意識のズレについて考える為に、K・マルクスの『経済学批判』の序文の一節を。
「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで働いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現に過ぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期が始まるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。」──K・マルクス(著)/武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦(訳)『経済学批判』岩波書店 1956年
マルクスは下部構造である経済的生産関係、即ち、階級がそれに属する人間の意識を形成するという唯物史観の基本的な命題を著した。観念的な意識概念の転換は当時の、否、現代の我々にも問われている重要な視点である。社会的存在を広く解釈するならば、生存の土台となる障害の有無によって些かの制限があっても已む無しという意識、道徳や常識等は、その階級によって規定された者の意識に過ぎず、人間社会に望ましい有機的結合を齎すことはない。そして、我々の社会は漸進的にではあるが社会変革への歩を進め、今、正に革命的な転換期を迎えようとしている。■
…The end