[職場闘争]永年勤続30年表彰された…のだが〜無礼千万な協会の態度〜

10月22日は協会の創立記念日である。
この日は、当時の日本の知的障害児者の教育・福祉施設8施設の施設長等が集い、滝乃川学園の石井亮一園長を初代会長とし、1934年10月22日に、日本精神薄弱児愛護協会(現・公益財団法人日本知的障害者福祉協会)が発足した事に由る。

嘗て協会事務局では、10月22日は通常業務を行いつつ、細やかに創立記念日を祝ったものだったが、其の様な事もここ10年くらい前からか無くなった。
ただ、事務局職員の勤続10年・20年・30年の事務局職員の表彰は執り行なわれている。
そして、2023年、今年は当該組合員の勤続30年の表彰が、10月20日(金)に行なわれたのであった(2023年10月22日は日曜日の為、前倒し)。

昼の12時10分前くらいに、古屋総務課長が「皆さん、ちょっとよろしいですか」「xxさん(当該組合員のこと)、表彰なのでこちらへ」という事で、職場の隅に追いやられて仕事している私は、総務課や役員室近辺に赴き、度会常任理事から井上博会長名の表彰状を授与された。

経営と“闘う労働組合員”として知られているので、職員の反応はビミョーな感じだったが、それは承知の上だったし、最早、どう思われようとも何とも感じ無くなっているので、其れは別に構わない。
コイツに何か言わせると何を言い出すか判らないと思っているだろうから、表彰状渡して終わりかな?と思っていたが、度会常任理事が「何か一言ありますか?」と気を利かせて言って呉れたので、そう言われたのなら、何か言うのがいい歳した“大人の対応”であろう、という事で挨拶させて貰った。

以下がその挨拶である。


「ありがとうございます。“一言”と言われると、“二言三言”話せという、社交辞令でもありましょう。
勤続30年という事で表彰された訳ですが、正職員になったのが30年ということでありまして、私と協会の関わりはそれ以上になるんですね。
元はというと、1991年のちょうど今くらいの時期でしょうか。当時、仕事の依頼を受けて、愛護協会の資料室に資料を渉猟しに来たのが、愛護協会との関わりの始まりでした*
なので、協会との関わりは32年くらいになりますかねぇ。協会事務局の一番の古株でしょう。
なんせ、末吉さん(現事務局長)が職員採用面接に来ていたのを会議室の傍で見て、知っていますからね。(笑)
ところで、今年で協会は創立何周年になりますか?そう、89年です。来年は90年です。
私の30年なんてあっという間の事だし、どうでもいいんですが、物事の節目節目は大切にしなければなりません。
来年の協会90周年に向けて、みんなで頑張って参りましょう!」

* 補足すると、以前勤務していた出版社を退社して暇だった為、知り合いの伝手でT大学大学院のT先生の研究室の手伝いをしており、戦前から戦後にかけての知的障害者の施設での生活実態の文献調査を請け負っていた。その当時、西新橋の全国たばこセンタービルにあった日本精神薄弱者愛護協会の9階の資料室(7階の事務所の他に資料室が別フロアにあった)に入り浸って『愛護』(現『さぽーと』)や『全国施設実態調査』の目ぼしい箇所を複写させてもらった。その時は「日本精神薄弱者愛護協会」という団体は全く知らず、「愛護」なんて随分と古臭い名称の団体だな、と思ったものだった。
その数ヶ月後の1992年1月に、協会事務局から単行本の編集人員がいないから臨時職員として働かないかというオファーがあり、特に安定した収入も無かったことから、引き受ける事になった。


と挨拶を終え、表彰状とそれに伴うextra prizeの「目録」と書かれた祝儀袋も頂戴した。

永年勤続職員の表彰にも拘らず、非礼にも程がある問題職員約2名と協会の対応

此処迄は、普通に表彰されて良かったね!と思う方も居るだろうが、此処からが此の記事の[職場闘争]カテゴリー足る所以である。

此れは予想していた事だったが、何と事務局長の末吉は、当該組合員の表彰時には態とらしく不在(午前中に年次有給休暇の時間休を取っている)。当該組合員の表彰が終わった直後に事務所に現れ、表彰者の当該組合員には一言も無いという非礼振り。
協会事務所前での組合情宣していると出勤せずに姿を晦まし、組合情宣が終わり、組合員が居なくなると、ノコノコと事務所にやってくるいつものパターンと同じだ。

又、水内事業課課長代理は、その日その時迄は通常通り席に着いて居たものの、表彰が始まると、何か用事がある様な素振りをして、その場から居なくなり、表彰が終わったら姿を現すという、これまたヒジョーに無礼な態度であった。

協会管理職(準)であるこの2名は大人の礼儀も弁える事が出来無いのだろうか?
此れが許されるなら、今後こちらもそういう人物・人格としてそれなりの態度で接せざるを得無いという思いにさせられるが、だからと言って無礼な人間には礼を尽くさなくてもいいと言う訳にも行かない。
君子たる者「子曰、克己復禮爲仁、一日克己復禮、天下歸仁焉」(『論語』顔淵第十二・一より)**を心しなければならないからである。

** 「子の曰く、己れを克めて礼に復るを仁と為す。一日己れを克めて礼に復れば、天下仁に帰す」
先生はいわれた。わが身をつつしんで礼(の規範)にたちもどるのが仁ということだ。一日でも身をつつしんで礼にたちもどれば、世界じゅうが仁になつくようになる。──金谷治(訳注)『論語』岩波書店 1963年

…とは言え、組織の一員としてこういう者が居るのは恥ずかしいもので、やはり一言言いたくもなる。

さて、この2人に加えて呆れたのは、「目録」と書かれた祝儀袋を貰った時も何か違和感を感じたのだが、よく見ると祝儀の水引の蝶結びが上下逆さまじゃないの!
単に常識が無いのか、それともわざとやっているのか判らんが、何にせよ相手に対して大変失礼な事である。
此れについては古屋総務課長に「自分だからわざとやってんのか、それとも知らないのかわからんけど、渡した相手に失礼だよ。小姑みたいなことは言いたくないけどさぁ」と言わせて貰った。(苦笑)
一応、古屋総務課長は「すみません」的な事も言っていたが、どうやら自分でも気が付かなかった様で、にやけながら誤魔化していたが…以後、気を付ける様に!

記念日とは何か〜節目を大切にし、礼を尽くす〜

私は表彰の際の挨拶で、協会は来年90年を迎え、節目を大切にする事も必要ではないかと言った。
90年を迎える協会事務局が常識や礼儀を弁え無い人間が管理職として居るということは悲しむ可き事だ。
組合活動で協会と対立、或る種の緊張関係に在る事は事実ではあるが、礼を尽くさずして対立を煽り、調和を阻害しているのは協会ではないのか。

上述した『論語』の学而第一・十二では次の様に述べられている。

有子曰、禮之用和爲貴、先王之道斯爲美、小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可行也。
有子が曰く、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も、斯を美と為す。小大これに由るも、行なわれざる所あり。和を知りて和すれども、礼を以てこれを節せざれば、亦た行なうべからず。──前掲書

極簡単に言うと…調和も大事だが、それだけで社会が良くなる訳では無い、礼をもってそこに節しなければ(分別を以った自律的な規範を持たなければ)上手くは行かない…という事である。

学而篇にも顔淵篇にも共通する事は、self-controlが出来ないならば礼を尽くす事など出来無い、である。
自己を省みるには、こういう節目(けじめ)を大切する機会を有効に活用しなくてはならない。

個人的な好悪感情に囚われている礼を知らない者が職場を支配していたのなら、一見調和が図れている様に見えても、それは脆く儚いものなのである。

表彰された身として訊きたいんだが、表彰状を授与してくれた会長の井上さん。どう思います?

…The end

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