敗戦後、戦前戦中の「産めよ、殖やせよ」人口政策への批判と一転して戦後の人口抑制政策、そして、女性の権利として、日本社会党の衆議院議員の加藤シズエ(女性解放運動家)・福田昌子(女性医師)・太田典礼(男性医師)らが不妊・中絶・避妊の自由を求めて法案を提出し、1948年に「優生保護法」が成立した。
優生保護法が果たして本当に女性のReproductive Health and Rights(生殖の健康と権利)を護る法律だったのかについても批判があるが、国民優生法に代わり誕生した優生保護法は戦前の旧法以上に障害者差別を助長し、彼らの生殖の権利を侵すものであった。
† 優生保護法 第1条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。
第2条 この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもつて定めるものをいう。
…
第4条 医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、前条の同意を得なくとも、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。†
さらに、1962年、厚生省の人口問題審議会では「人口資質向上対策に関する決議」(1962年7月12日)において、
「人口構成において、欠陥者の比率を減らし、優秀者の比率を増すように配慮することは、国民の総合的能力向上のための基本的要請である。」
…
「3 国民の遺伝素質の向上 わが国人口の遺伝素質の向上を図るためには、長期計画として劣悪素質が子孫に伝わるのを排除し、優秀素質が民族中に繁栄する方途を講じなければならない。」
が決議され、戦前の国民優生法下ではほとんど行われなかった(と思われる)、優生保護審査会の下での優生手術=不妊手術が奨励され、多くの障害のある人達に半ば強制的な不妊手術が行われたのだった。

『愛護』1962年1月号 特集「性問題」
さて、戦後の日本精神薄弱者愛護協会はこの優生手術についてどのように捉えていたのだろうか。その一端を機関誌『愛護』1962年1月号(No.52)の中に垣間見ることができる。
「集団生活である施設としては刺戟的な雰囲気を醸成しないように注意すると共に個々の収容者の自己抑制と性的捌口の指導を平素から行つておくことが必要である。そしてこういう人達の結婚生活に対しても可能であるならば積極的に配慮してやることによって問題の解決をはかることも考えられるのである。この場合でも子供が生まれないような優生手術に行つておかなければならないであろう。」—論苑 精神薄弱(児)者の性の問題
「更に、低IQ者あるいは、危険を生ずる心配のある者などは保護者並びに医師によく相談して、優生学上の処置をしておくことも本人の為であり、重要な点であると思う。この問題は精薄者の青年男女を収容する施設においては、常に問題として取り上げられる重要な点であり、彼等の結婚可否の問題、将来の安定生活の問題と共に、我々に与えられた課題として、研究をしなければならない問題でありますので、経験者諸賢の御叱正と御指導をお願いする次第であります。」—精神薄弱男女を収容する施設の両性間の指導について
「…(筆者注:生理について)… IQ四十以上無いと始末が無理と考えられるので、優生保護法の適用を受け手術出来たら、児童達も安心して生活出来るのではないだろうか。手術をすると性格も変わり、早く年寄ると云われており、私の見た事例は二件のみで、其の結果も著変無いが、家庭の了解の元に、手術が受けられたら良いと思う。」—私達の頁 精神薄弱児の性の問題について
論者により捉え方の濃度の違いはあるものの、本人の為には已むを得ない処置として、優生手術が肯定的に語られている。戦前の様な積極的な優生学の影響、優生思想や戦後の国の推進する優生保護政策である“逆淘汰”はやや影を潜め、露骨ではないものの、しかし、そこには個の自己決定を脅かす優生思想と同根であるパターナリズムが見て取れる。
優生手術によって本人のQOLが向上するか否かの医学的所見についてはわからないが、そこにある指導する・指導されるという支配-被支配の関係の非対称性、利用者本人の意思や権利、尊厳と支援者・施設側の良かれという思いのdilemmaは厳然として存在する。我々は此の様なパターナリズムに無自覚ではいられない。言わずもがな、支援者・施設側の都合で障害のある人の正常な身体への医的侵襲行為が行われて良い訳が無い。

『さぽーと』2018年5月号 今月の切り抜き「優生手術の被害者の救済を」
さて、50数年を経て、【前編】で少し触れた現在最新刊の『さぽーと』2018年5月号(No.736)では、編集委員の三瀬修一弁護士(延命法律事務所)が、今月の切り抜き「優生手術の被害者の救済を」で、旧優生保護法下での優生手術を取り上げ、立法の不作為の観点から、強制的に行われた断種手術は障害者差別であり、その被害者への国の補償を強く訴えている。
ある意味、障害者施策の“暗黒面”・協会の“黒歴史”である旧優生保護法の下で行われた強制・不同意の不妊手術を批判的に正面から取り上げた記事としては、当該が知る限りにおいて、先述の『愛護』1962年1月号以降では、『愛護』『さぽーと』誌上この記事が初めてではなかろうか。
誤解の無い様に言うが、現在の価値観から過去の所業を断罪するつもりはない。
重要なことは、「優生保護法」施行から約50年を経て、優生手術と「遺伝性精神病」「遺伝性精神薄弱」の人工妊娠中絶が削除、「母体保護法」に改正され、それから20余年を経て、やっと、断種させられた障害のある人達の人権を回復する闘いが始まったことだ。勿論、障害者への差別や偏見は依然として在り、2016年には戦後最悪の大量殺人事件である津久井やまゆり園事件が発生していることも直視しなければならない。しかし、今では、障害があるから「去勢」されてもしょうがない、それは本人の為…などと思う人はよもや居るまい(少なくとも『さぽーと』読者諸賢においては)。障害当事者の自己決定権が尊重され、障害が重くとも意思決定への支援が求められている今日の障害者の権利擁護の思潮の高まりに目を向けるべきである。
戦前の協会の優生学的見地に基づく障害者観や優生手術が“已む無く”行われていた戦後の福祉関係者のパターナリズムから、現代の私たちはどれだけ遠く離れた地点に立っているのか、本記事と併せて、その変化・変遷を多くの方々に感じていただければと思う。
旧優生保護法国賠訴訟の差し当たっての問題は日本の立法不作為の責任とその対応である。
1985年5月8日、ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)のヴァイツゼッカー(Weizsäcker, R. K. F.)大統領は戦後40周年を記念して、ドイツ連邦議会で心震わせる演説をしている。
「5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。」
「ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス—これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。死者への悲嘆、傷つき、障害を負った悲嘆、非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、空襲の夜の悲嘆、故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、捕らわれ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆—こうした悲嘆の山並みです。今日われわれほこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲傷の念とともに思い浮かべているのであります。」
「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。心に刻みつづけることがなぜかくも重要なのかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
—『新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説』
岩波書店 2009年
「非人間的な強制不妊手術」を行ったドイツは被害者へ補償を行った。しかし、日本は旧優生保護法下では合法であったことを理由として、その補償を拒んで来た。
2018年4月25日、厚生労働省から「医療機関、障害者施設等における旧優生保護法に関連した資料の保全について(依頼)」が各地方自治体宛に発出された。旧優生保護法下で行われた断種手術によって踏みにじられた人達のSexual and Reproductive Health and Rightsへの国家補償の第一歩となることを願いたい。■
‡ なお、拙稿はただの一介の労働組合員が書いているので(笑)、研究者のような正確性にはあまり自信がありません。間違いがあったらご指摘ください。m(_ _)m ‡
…The end