『さぽーと』2018年5月号から福留幸輔氏(株式会社生きがいラボ代表・社会保険労務士)が連載している、セミナー「福祉職場におけるノーレイティング設計」。読者諸氏はお読みになっていらっしゃるだろうか。
2019年3月号をもって『さぽーと』誌での連載は終了するが、福留氏も11ヶ月分の長期連載を精力的に熟してくださったことには敬服する。また、連載中、編集サイドの意向や疑問にも真摯に、快く応じてくださったことも感謝に堪えない。
「No Rating型人事制度」の全体像は本誌の連載記事をお読みいただくとして、従来の人事給与の在り方とは違う、従業員への点数付けやランク付けに依存しない、組織の目指すヴィジョンとそれに準じた、あるべき人事制度の在り方を模索し、労働者のキャリア形成へのモティヴェーションを図る、マネジメントへの新しい視座を与えてくれた。
その全てを実行することは、日本的会社組織において、乗り越えなければならない困難さはあるかと私は思うのだが、組織の理念と労働者の情熱が営利企業に比べて、大きな比重を占める*非営利組織や福祉業界においては、制度設計がしっかり出来れば、うまく適合するのではないかと氏は連載を締め括っている。
* 付け加えると、当該組合員の考えとしては、それがdecent workでなければならない。
執筆された福留氏の意図とは全く関係ないのだが、連載の中での「外発的動機付け」よりも労働者自身の「内発的動機付け」を重視し、決められた給与額が人を動かすのではないという件を読んで思い出したのは、Karl Marxが初期の論稿『経済学・哲学草稿』において、賃労働(労働の商品化)は現代の奴隷制であり、労働者はあらゆる面で労働から疎外されていると喝破したことだ。
さて、それは兎も角、ノーレイティング人事制度のような斬新な制度とは対極的というか、いや、旧来であれ何であれまともに人事制度が機能しているのか怪しいのが『さぽーと』発行元の日本知的障害者福祉協会事務局だ。特にノーレイティング人事制度など末吉事務局長やその配下の管理職連中には到底理解できないことだろう。…というか『さぽーと』読んでる?
筆者の福留氏は管理職・上司と部下との関係について、このように論じている。

『さぽーと』2019年2月号 No.745
「このステップで確認したいことは「上司=部下よりえらい」という価値観になっていないか、ということです。 No Rating型人事制度の哲学では、上司と部下は役割の違いはあれども、完全に対等な立場です。「上司」「部下」という言葉が、上下関係を想像させてしまいますが、…(中略)…それは役割が違うということであって、人間としての価値を表しているということはありません。」——『さぽーと』2019年2月号 p.51
「1 on 1 制度は、その取り組みの内容から「目標管理制度」という認識を受けやすい制度です。確かに、仕事における目標達成も対話のテーマとして扱いますが、目標管理制度のような「目標によって部下を管理する」、あるいは「目標の進捗を管理する」という目的ではありません。1 on 1 制度での「目標」の扱い方は、目標達成に向けた「経験」によって、部下が学習し、成長することをサポートするということです。この点については、管理職の意識変革が必要となりますので、特に強調して理解しておいてもらいたいポイントです。」——『さぽーと』2019年3月号 pp.49-50

『さぽーと』2019年3月号 No.746
「実施主体である管理職が、360 度フィードバック制度の目的にもなっている「非認知スキル」と「関係の質」の重要性や、主観で評価する評価基準の考え方、そして、上司だけではなく同僚や部下・後輩からもフィードバックをもらう意図などについて、キチンと理解しておく必要があります。部下からもフィードバックをもらうということに対して、抵抗感を持つ管理職も出てきます。しかし、制度の趣旨が「欠点の指摘のし合い」ではなく、逆に「素晴らしいところの承認」や「感謝の伝え合い」を促進することですので、その点をしっかりと理解してもらう必要があります。」——『さぽーと』2019年3月号 p.50
勿論、組織のミッションと組織成員のキャリア形成へのモティヴェーションのため、ひいては活力があり、競争力のある組織変革と人材活用のための対話・コミュニケーション相互のフィードバックに不可欠な前提条件としての提起であろう。
再度言うが、己のマネジメント能力を棚上げして、“上司は偉い”と面子だけを気にする幼稚な管理職には到底理解不能に違いない。
嘗て、2015年12月3日に役員室に呼び出されて、例の「メールアドレス」問題を口実に難詰されたことはこちらの組合加入の経緯にも記し、本組合掲示板ブログ読者からも呆れた声が寄せられたが、「事務局長だから偉い」だの、つい先日2019年2月26日に、末吉・水内・古屋・三浦対当該組合員の4対1の言い争いの中で起こった(これについては後に記事をUPする予定)「上司にそういう⾔い⽅は許容される範囲を超えている」などと当該が抗議した問題とは全く無関係かつ頓珍漢なことを言い出し、職場の上下関の地位を利用して、マウンティングをかます言い分にはほとほと呆れたものだ。自分の「ジョーシキ」が他者・社会の常識であると信じて疑わず、自分の価値観を他人に押し付ける態度は傲慢としか言い様がない。“自分は偉い”と思っているからだろうが、それは同類の水内事業課課長代理も同様だ。
40〜50歳にもなって、人の本質を変えるのは難しいが、協会事務局は公益法人であり、かつ社会福祉実践団体であって、君達は封建領主ではなし、何か利益を生み出している訳でもないのだから、マネジメントを担う組織成員としてどう振る舞うべきかを少しは考えろと言いたい。
意に沿わない人間の排除する陰湿な行いは、結果、事務局の私物化・専横支配を行いたいが為の行為であって、こんな有様だから、労使対等な立場で議論し合わなければならない団体交渉からの逃亡したり、露骨な嫌がらせを行っても恥じない姿勢は、成程宜なる哉である。尤も、こんな胡麻擂り・面従腹背の輩を可愛がる方にも責任がある。
こちらも後で全文公開の上、テッテー批判させてもらうが、本記事執筆中に届いた協会からの2019年3月11日付「準備書面3」には嘘や言い訳、逸らかしに混じって、典型的な職場のハラスメントを行っていても自らを戒めるどころか、開き直って恥じないことが書かれていた。“嫌がらせ”はしているが、不当労働行為ではないということを言いたいとしか思えない内容だった。
さらに、付け加えて言うと、末吉・水内・古屋・三浦の管理職らは就業規則上(育児介護休業規則)上のハラスメント防止責任者や苦情窓口というから、とんだお笑い種だ。…というのはこちらで批判させてもらった。以前、別件で相談に行った某労働問題専門の弁護士によれば「それではハラスメント防止規程の実効性は全くないでしょう」と苦笑していた。この件は今後も組合としてテッテー的に追及するし、改善要求をさせてもらう。
話が横道に逸れたので主題に戻ると、当該組合員は人事労務マネジメントの最新的知見については全くの門外漢だが、歳の功もあって、古いことなら幾らか知っている。
孔子は『論語』の中でこう言っている。
「子の曰わく、君子は事え易くして説ばしめ難し。これを説ばしむるに道を以てせざれば説ばざるなり。其の人を使うに及びてはこれを器にす。小人は事え難くして説ばしめ易し。これを説ばしむるに道を以てせずと雖も説ぶなり。其の人を使うに及びては、備わらんことを求む。」——『論語』子路第十三の二十五(岩波文庫版)
かつて、就任して程無いO常任理事が協会事務局員と個別に面談した際に、当該組合員は協会事務局の在るべき姿について尋ねられたので、これに類する話をしたのだが(『論語』がどうこうとは言わなかったが ^^)、残念乍ら、話した甲斐もなく、全く活かされなかった。これには大いに失望したものだ。
もう一つ、おまけにこれも教えてあげようか。
「子の曰わく、君子は泰にして驕らず、小人は驕りて泰らなず。」——『論語』子路第十三の二十六(岩波文庫版)
“偉い”人が人の上に立つ人となるに相応しいが、人の上に立っているからと言って”偉い”人とは限らないのは、今も昔も変わらない。これも語源は『論語』だが、「温故知新」——即ち先人の知恵は大切にしなければならない。
何にせよ、協会管理職の諸君。マネジメントに関わる立場なんだから、『論語』は兎も角、少なくとも自組織が発行している『さぽーと』くらい読んで、最新の人事労務管理や組織の在り方を学んだらどうか。■
…The end
労働者が交代で管理職になるというのはどうでしょうか。「上司」という地位で特権的にふるまうこともできないし、人を束ねる大変さをみんなが経験できて、自然にみんなが協力しあいながら仕事をするようになるように思います。この執筆者の方がおっしゃるように、営利ではなく「志」で働いている職場で、1つの部署が10人程度であれば、可能のように思います。
コメントありがとうございます。かつてあった全日本手をつなぐ育成会の事務局は事務局長のAさん以外、職員に役職らしきものがなく、みんな仲良く仕事をしているように見えたものでした。
さて、私はどちらかというと一職人なので、人束ねるなど采配を振るえるマネジメント能力のある人を尊敬します。私にはとてもできません。ただし、無能なのに権力志向だけで成り上がった管理職は心底軽蔑します。