[日々雑感]「渦」巻けるコロナの「禍」〜『愛護ニュース』2021年4月号批判〜【後編】

【前編】からの続きである。
その他にも当該号には協会の事業計画も載っていて、中でも、月刊誌『さぽーと』の「積極的な活用」「より魅力のある誌面を目指し」「会員事業所の購読者(研究会員)の増加に向けた方策を検討」等々とあるのだが、これについては、2年前に特別委員会*/**まで立ち上げて、誌面改革を行なった結果、研究会員が今まで以上に激減しているんだが、この事実と改善策を第10回団交でO常任理事に問うたところ、「やらなかったらもっと減っていたかもしれない」という、何ら科学的なデータ検証もせずにテキトーにちょー楽観的な見通しを述べていた***ことを考えると、こんな事業計画など絶対に上手く行く訳がないだろ…という思いもあるんだが、これはまた後程論じる。

*[職場闘争]不当労働行為審査中も御構い無しの組合員への排除攻撃 part 1 〜抗議並びに釈明要求〜
**[職場闘争]不当労働行為審査中も御構い無しの組合員への排除攻撃 part 2 〜出版界の現状と障害福祉団体の福祉系雑誌の発行部数の推移から〜
***[職場闘争]第10回団交報告 part 1 〜研究会員(『さぽーと』購読者)の減少について、常任理事の現状認識と無策を問う〜

『愛護ニュース』2021年4月号の末吉事務局長のコラム「浜松町から」

末吉執筆の「浜松町から」は、大体『愛護ニュース』の掲載記事をダイジェストしただけか、400〜500字程度の文章の中にごちゃごちゃと関係あるんだか、ないんだか色々な話を詰め込んだ結果、何が言いたいのか良く解らない作文か、の主に2パターンだ。

今回は本号掲載記事のダイジェストが主の、手抜きパターンなのだが、彼も忙しそうだからダイジェストにして手抜きをしたい気持ちも解るから、掲載記事のダイジェストならダイジェストでも、別の視点から取り上げる、読者の目を惹くような掴み等、主張の掘り下げや文章表現の巧緻に気を遣えばいいのに、ただの羅列にしかなっていないのがザンネンなところである。

「浜松町から」『愛護ニュース』2021年4月号(8面)

冒頭「オンラインにはメリットとデメリットがありますが」との書き出しから始まり、「いや〜、全く仰る通り」「そうですよね〜」と誰もがお愛想を言ってくれそうな簡潔明瞭さ。続く文章にはメリットだと彼が思っていることが断片的に書かれている一方、デメリットは何か、それについてどう考え、どう克服して行くべきかが続かない。初っ端、そういう書き出しで始まるのなら、尻切れ蜻蛉にしないで、ちゃんと論じなさいよ。本人は「いい掴みだ」と思っているかもしれないが。

前半部分での彼のオリジナルと言えそうな箇所は、「オンライン便利」とか「ライブ配信や映画を楽しめる」くらいの話だろうが、ここまで常時接続・広帯域のインターネットが普及している現在において、こんなことは当たり前の話で、別に「コロナ禍」(2行目にある)だろうが、そうで無かろうが、インターネット上のストリーミング配信で誰もが、映像配信やビデオチャットを利用しているだろう。
例えば、「駅前留学」で有名な外国語教室のNOVA(旧)は、民生用インターネット普及期の1997年に「お茶の間留学」と称して、オンライン授業を始めていた。一体、いつの時代の話をしているんだか…。
彼にとっては、2020年の「コロナ禍」に由って齎されたオンライン化は途轍もなく新機軸で画期的なことに映ったんだろうが、協会事務局長のITリテラシーのレヴェルの低さに驚く人も多いのではないか。
しかし、こういうのは正直に言うんだな。何か狙いがあるのかもしれないが、裏無く言葉通りに取るならば、ちょっと…恥ずかしいんじゃないの?

そういう話が終わった後に、本号掲載記事のダイジェストを羅列した、取り留めのない話が続く。
次の段落にある協会の各種会議云々は、従前、全国から委員を集めて、東京・浜松町にある協会事務局で開催されていたのだが、当然、係る旅費も例年莫大で、今時、こんな事は早くからオンライン会議で開催すれば、経費の削減に加え、施設現場の委員の時間的拘束もなく有効だと担当者の誰もが思っていたのに、真に対面での会議を行なう必要でもない限り、実現できない訳では無かったはずだ****。事実、当該組合員も含めて他の職員だってそう感じている者も少なくなかったが、案の定、事務局長がこの程度の認識で、業務効率化など考えも及ばず、惰性で仕事をしていた証左である。

**** 但し、現状の協会のオンライン会議の運用の仕方には問題があり、これは別の機会に取り上げたい。

“オンライン”繋がりだろうが、ここで話が変わって、本号の事業計画でも触れられている協会の新プロジェクト「オンライン研修動画」の話題が続く。…と思いきや、後半は「その一方で」と、何が“その一方”なのか良く解らないが、「現場の支援員の方々は日々感染防止に努めながら障害のある方々の支援にあたっています」とlip service感満々な惹句と共に、本号記事にも掲載されている新型コロナウイルスワクチン優先接種に知的障害者・重度の精神疾患を有する者が加えられることが了承されたとある。
あたかも協会の要望書*****によって厚生労働省の審議会でそれが実現したかの様な書きぶりであるが、2021年3月18日の第44回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会予防接種基本方針部会の議事録や資料を読んでもらえば解る通り、世界精神医学会(World Psychiatric Association)Lancetの論文、イギリス保健省のワクチン接種施策がevidenceとなっていて、協会の要望とは関係の無い議論である。

***** 2021年2月10日付「新型コロナウイルス感染症に係るワクチンの障害者施設等への接種について」

そもそも、他の高齢福祉や障害福祉団体は協会の要望より前から従事者・当事者へのワクチンの優先接種の要望を行なっている(勿論、その安全性・有効性も含めてだ)。少々遅かったとは言え、協会の要望自体が無意味だとは思わないし、それが政策決定に影響を及ぼしたかどうかは判らないが、ここにも、各団体との連携・関係に無頓着で我田引水の主張や嘘…とまでは言わないまでも、都合良く手柄を独り占め(自己奉仕バイアス self-serving bias)しようとする独善的体質が見て取れると言うものだ。

2年前に、「平成」が終わって「令和」が始まって…どうしたこうしたと言っていたことを批判した記事でも言ったことだが、総じて言えるのは、普段から本を読んだり、ちゃんとした論理立てのある文章を書いたことが無い人間が何か書くとこういうことになるんだろうな、と率直に思うところである。論理的思考は兎も角、文章力の無い人間が協会事業の一つである「小・中学生障がい福祉作文コンクール」で応募してきた小・中学生の作文を審査しているのだから、一旦権力を握ると能力関係無く何でも出来るっていうのは凄いことだ。さすが、“偉い協会の事務局長”さんだ。

此処で、【前編】の冒頭で引き合いに出した話題に戻る。
読んでいて気付いたのは、この末吉執筆の「浜松町から」の16行目には「コロナ渦」とある。同一文章内で「コロナ禍」(2行目にある)と「コロナ渦」が混在している原稿は、私の知る限り、これだけだ。
もしかして「コロナ渦」だと思っている…?
こういう編集の杜撰さも協会らしいところである。

特別委員会まで立ち上げて、月刊誌『さぽーと』の在り方を検討したにも拘らず、結局、デザインがどうこうといった小手先の変更に固執した結果、誌面改革後、研究会員(購読者)は大きく減少(O常任理事によると、やらなかったらもっと減っていたかも知れないらしいが)、2020年度も前年度同様の減少に全く歯止めが掛からずという有様。『さぽーと』誌に関しては、2006年にも同じ様なことをした結果、研究会員(購読者)を激減させた教訓が全く活かされていない。この2つの失敗に共通するのは、大局的な視点の欠落や失敗した場合の戦略の冗長性が無いことと、本来の目的とは別な“政争の具”に使われたことだ。尤も、それについて指摘することすらタブーとされている。
また、知的障害援助専門員養成通信教育受講生の募集や社会福祉士養成所の学生募集、国家試験合格率も低迷、その他事業も捗々しい結果を出していない。不都合な事実は完全に無視・放置され、戦線拡大を図るとはどういう戦略的思考を持っているのか。自分達に都合のいい解釈で、暢気かつ出鱈目なことを機関紙に書いている場合か?

「渦巻ける烏の群」

作家・黒島伝治(1898年生-1943年没)が書いた「渦巻ける烏の群」という、黒島伝治自身が衛生兵としてシベリア出兵に従軍した実体験を基にした反戦小説がある。

シベリア出兵(1918年~1925年)は日本の外交史上の失敗例だ。ロシヤ革命への欧州各国の内政干渉に端を発し、日本もその要請を受けて派兵を検討したことろ、当時の元老や政治家にも反対意見があったが、ロシヤ革命政府への対抗とシベリアにおける日本の権益確保の思惑、欧州各国からの圧力等もあり、なし崩し的に日本は派兵し、その間、第一次世界大戦の終結という国際情勢の変化にも拘らず、ずるずると7年もの間、兵を増派・駐留し続けた結果、極寒の地でのロシヤ労農赤軍やパルチザンとの戦闘で兵士や民間人の犠牲は1万人を超え、戦費も当時の金額で10億円を超える事態を招き、何の成果も得られなかった。
従軍していた前線の兵士からは、「他国の党派争ひに干渉して人命財産を損する、馬鹿馬鹿しき限りなり」と言われた無謀な軍事作戦であった。

「渦巻ける烏の群」には、貧しいシベリアの村人と日本の部隊兵士との交流、ロシヤ人女性を巡る日本陸軍上官の嫉妬から、シベリアの厳冬の中、作戦的にも無意味な部隊移動・行軍を命じられた日本軍兵士が凍え死んで行く有様が、透徹したリアリズムにより描かれている。

 一個中隊すべての者が雪の中で凍死する、そんなことがあるものだろうか? あってもいいものだろうか?
 少佐の性欲の犠牲になったのだ。兵卒たちはそういうことすら知らなかった。
 何故、シベリアへ来なければならなかったか。それは、だれによこされたのか? そういうことは、勿論、雲の上にかくれて彼等、にはわからなかった。
 われわれは、シベリアへ来たくなかったのだ。むりやりに来させられたのだ。――それすら、彼等は、今、ほとんど忘れかけていた。
 彼等の思っていることは、死にたくない。どうにかして雪の中から逃がれて、生きていたい。ただそればかりであった。

現在、猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症も人類の脅威であることは論を俟たないが、別な意味で何より恐ろしいのは、人間社会…いや、日本の組織に典型的な馬鹿で無能な“大将”と、それをなあなあで擁護する組織の首脳陣である。

一個師団の重火器相手に一個大隊・一旅団程度の兵力で銃剣突撃を挑み全滅、その後、鼠輸送やら蟻輸送やら土竜輸送のしょぼい兵站輸送と、同じ戦術を繰り返しての逐次戦力の投入で傷口を拡げ、多くの戦死者・病死・餓死者の犠牲を払い、大敗したガダルカナル島の戦闘。情報戦を疎かにし、情実人事によって、いつもの様に兵站無視の短期決戦思考で無謀な作戦を遂行した大本営・総軍・方面軍・第15軍を指して「馬鹿の4乗」と前線師団長に言わしめ、多大な犠牲者を出したインパール作戦。そして、反対意見もあったにも拘らず、何の大義もなくなんとなく参戦し、出口戦略も疎かに、また、本来の目的に無かった権益に固執し、ずるずると現地に駐留し、兵士を無駄死にさせたシベリア出兵。
是等以外にもあるが、外交的にも軍事戦略的にも非合理な情実人事や戦略無き組織運営が惨禍を齎らしたことは歴史が証明している。

新型コロナウイルスはワクチン接種で発症や重症化を防げるかもしれないが、悲しい哉、馬鹿や嘘つきの治療薬やワクチンは今のところ無い。
今、我々に与えられた唯一の処方箋と言えるものは、体面に拘って事実を歪曲せず、過去の失敗から真摯に学ぶことだ。

…The end

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