『月刊まなぶ』2019年9月号〜リレーエッセイ「闘う心を支える言葉と人」〜

労働大学という社会主義や労働組合運動の学習会組織があります。この組合掲示板ブログの読者の福祉関係者の方々には馴染みがないかも知れませんが、労働運動関係の方々はもしかしたら、ご存知かもしれません。

学生時代、大学の図書館で各政党の機関紙を読むのが日課だった私は、当時の日本社会党の機関紙『社会新報』に労働大学の講座のお知らせが載っていたのを記憶しています。また、労働大学とは直接関係はありませんが、私が通っていたY大学の文化系サークル連合(文連)の中執は、日本社会党の青年組織である日本社会主義青年同盟(社青同)の社会主義協会系(の向坂派だったように思う)の人たちだったので、彼らと交流があった時は、いわゆる「労農派マルクス主義」理論の学習会に一緒に参加しないかと誘われたものでした。ただし、私自身は“ノンセクト・ラジカル”を自認していたので、個別の政治的社会的な課題での運動は別にしても、党派的な組織には積極的に関わることはありませんでしたが、日本社会党の左派の人たちとは個別サークルを通じて、いくらか付き合いがありました。

まぁ、思い出話はともかくとして、それからン十年の年月が経ち、その間、日本社会党は分裂し、一部は民主党(→民進党→立憲民主党)に合流し、残った人たちは社会民主党、そして、よりこれまでの日本社会党の路線を堅持する左派の人たちが新社会党を結党したのは、皆さんもご承知のことでしょう。
御多分に洩れず(と言ったら失礼にあたるのでしょうが…スミマセン)日本社会党が常に左・右で対立していたように、現在、労働大学も左・右に分裂しているようで、このたび私が原稿執筆依頼を受けた労働大学『月刊まなぶ』は左派の方々が発行している機関誌です。

労働大学の機関誌『月刊まなぶ』のリレーエッセイを引き受けることになったのは、東京南部労働者組合のKさん(郵政4・28闘争の組合闘士)*が2019年3月号に「認知症になってもできる事はある」を執筆し、東京ふじせ企画労働組合のKさんが2019年6月号に「民事弾圧と対峙し、争議長期化に抗して闘う」を執筆。東京ふじせ企画労働組合のKさんからバトンタッチされたことによります。依頼があった際、学生時代に『社会新報』で知った労働大学という組織がまだ存続し、活動していて、機関誌『月刊まなぶ』を定期発行しているとは知らず、正直驚きました。

*  南部労組のKさんについてはこちらの記事でも取り上げています。

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『月刊まなぶ』2019年9月号

日頃お世話になっている、南部労組のKさんやふじせ企画労組のKさんからのリレーエッセイの依頼なので、断る訳にもいかず(笑)、「う〜ん、私で良ければ…」ということで、原稿執筆を引き受けたものの、はて?何を書いていいものやらと考え、本業の障害者福祉と障害者雇用の労働実態について書こうか、読者の皆さんの息抜きに私の趣味の話にしようかしら…と結構悩みましたが、結局は組合活動絡みの話に落ち着き、ややお茶を濁してしまった感があります。

しかし、数日前に筆者贈呈で頂いた2019年9月号の特集は「マイノリティ差別を許さず」で、その中では宮内一夫氏(習志野市市議会議員・新社会党)が「障害者枠採用不当解雇」について詳しく報告しており、「あぁ、半端な知識で下手なことを書かなくてヨカッタ…」とホッとしました。
その他、特集記事は、LGBT差別やSOGIハラ、ハンセン氏病差別、戦場カメラマン・報道写真家として著名な石川文洋氏の沖縄差別の歴史的考察からベトナム反戦・反基地闘争について、インターネット社会での新たな部落差別問題と、実に読み応えがある論稿ばかりでした。表紙のイラストも素敵です。

  『月刊まなぶ』は市販されていないようなので、手軽に入手することができないのが残念ですが、我が組合掲示板ブログの読者の方が、もし何かの機会で手に取ることができましたら、上の目次のように、労働運動に限らず、割とバラエティに富んだ記事もありますので、ぜひご一読されてみてはいかがでしょうか。

さて、恥ずかしながら、“お茶を濁して”私が書いた駄文を、ここに一部補足・参考文献紹介も加えて転載し、ご紹介いたします。
誤解のないように言っておきますが、これは東京南部労働者組合の組合員Mさんのお話であります。余計な詮索はしないように…(笑)


リレーエッセイ「闘う心を支える言葉と人」

組合員Mさんが組合加入・職場闘争に決起し、現在も一人で闘い続けているお話です。

不当解雇事件

20XX年、Mさんの職場で不当解雇事件が起きました。解雇劇の数日後、組織の最高責任者が参加した会議で、彼は不当解雇を策した輩への怒りから、強く抗議の声を挙げました。それ以降、彼は職場で冷遇され、排除攻撃の標的になりました。また、職場自体も労働基準法無視の違法状態だったので、労働組合で職場の改善を図ろうと同僚を誘いましたが上手く行かず、次第に心も折れ、職場を去ることも考え始めました。しかし、彼にも家族があることから、勝手に退職する訳にも行きません。
そこで、彼はすれ違い生活であまり会話がなかったお連れ合い(彼女)にこれまでの経緯を話し、もう仕事を辞めたいことを伝えました。彼女には難色を示されるものとばかり思っていたそうでしたが、意外にも彼女の言葉は「辞めてもいいよ。だけど、そんな奴らに絶対負けるな。辞める前にテッテー的に闘え!」でした。彼女の言葉に彼は「ここで挫けてどうする。自分は正義のために声を挙げたんじゃないか」と改めて思い直したのです。
その後、さらに彼の同僚が排除攻撃・退職勧奨を受け、職場を去って行きました。彼はこれ以上不当な首切りを許してなるものか!と思い、一人でも加入できる地域合同労組の東京南部労働者組合に加入、団体交渉や社前情宣で労基法違反を是正させてきました。目下、労働委員会に不当労働行為救済申立を行い、今もなお一人で闘い続けています。

一人での闘いを支えてくれたもの

たった一人で抗議の声を挙げ、組織に立ち向かうのは並大抵のことではありません。しかし、彼女の言葉がそうであったように、挫けそうになる彼を支える言葉や人びとがありました。
彼は韓国の格闘技、テコンドー(ITF)の有段者です。テコンドー精神の一つに、正義側に立ち、相手が誰であろうと寸毫すんごうの怯えや躊躇することなく、果敢に邁進する「百折不屈(Indomitable Spirit)**という精神があります。テコンドー家として不正義に目をつむることは、彼には受け入れ難いことでした。
また、彼は正に「百折不屈」の精神を体現した人びとを思い起こしました。三一独立運動***で日帝軍国主義に激しく抗い、惨殺された柳寛順ユ・グァンスンや、太極旗を掲げ、日本人憲兵に腕を斬り落とされても怯むことなく、片腕で旗を拾い上げた尹亨淑ユン・ヒョンスク。南ベトナムでアメリカ帝国主義との戦いを決意し、処刑されたグエン・バン・チョイ****。チリで反革命に抗し、人民の勝利を歌いながら、チリ・スタジアムで虐殺されたヴィクトル・ハラ*****。自由と正義に殉じ、非業の運命を強いられた不屈の闘士たち。「彼らに恥じないように生きなければ」と。

** 「百折不屈(백쩔불굴)」は韓国固有の四字熟語のようで、若干言葉の持つニュアンスは異なるものの、日本では「百折不挫」「不撓不屈」の方が馴染み深いでしょう。
*** McKenzie, F. A.(著)・韓皙㬢(訳)『義兵闘争から三一独立運動へ(原題:Korea’s Fight for Freedom)』太平出版社 1972/「独立の一念で決起した若き女性活動家たち」在日大韓民国民団
**** ベトナム外交出版社(編)・松井博光(訳)『新日本新書17 あの人の生きたように—グエン・バン・チョイの妻の記録—』新日本出版社 1966
***** 八木啓代(著)『禁じられた歌—ビクトル・ハラはなぜ死んだか—』晶文社 1991

闘わなければ社会は変えられない

格差社会、不安定雇用の真っ只中、生殺与奪を握られている労働者は、否が応でも使用者に恭順な生き方を強いられ、正義を貫くことが困難な〝空気〟が現在の日本社会に蔓延しています。闘わなければ社会は変えられない。まずは私たちの職場生産点での闘いから。そんなことを、職場闘争を通じて次代に伝えて行ければと思っています。

…The end

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