Kちゃんの思い出

12月3日は国際障害者デー(International Day of Persons with Disabilities)12月9日は「障害者の日」、そして、12月3日から9日までは「障害者週間」です。
この一週間については、ほぼ毎年、本組合掲示板ブログで取り上げています。

今年は、当該組合員の家族が通所する発達障害者支援センターがイベントにブースを設けていたこともあり、地域で開かれた2025年のイベントに参加してきました。
仕事を通じて知っている知的障害者施設や精神障害者の作業所のブースもあれば、これまで存在を知らなかった地域のNPO法人や当事者団体のブースもあり、会場は障害当事者や家族、支援者でにぎわっていました。
こうした機会は障害者週間ならではですが、関係者以外の人にも気軽に足を運んでもらえるような催しになればと、願ってやみません。

これまでの記事では、「国際障害者デー」「障害者の日」「障害者週間」で行われる行事や、どのように制定されたのか、その歴史的経緯などを書いてきました。
今回は少し趣向を変え、当該組合員が障害のある人との出逢いや、障害(者)の考え方の変遷について、何回かに分けて綴ってみます。

捉え方や価値観、“思想”の違いによって、不快に感じる方がいるかもしれません。
「何を言っているんだ」「それは違うだろう」と思われた方は、どうぞ遠慮なくコメント欄に書き込んでください(可能な限り、反省の弁なり言い訳なりを述べます……~~;)。

思い出話については登場人物名含め、ディテールを若干変更しています。


私が小学1〜2年のころ、同じクラスにKちゃんという女の子がいた。
今になって思えば、Kちゃんにはダウン症があり、知的発達障害のある子だったのだが、当時6歳の私はそんなことを知る由もなかった。
私にとって彼女は、ただ“同じ教室にいる友達”であり、それ以上でも以下でもなかった。

子どもの世界には、言ってみれば“純粋”で“無垢”であって、ただ目の前の友達の、ぼんやりとしたちょっとした「違い」を感じだだけだ。
物覚えのいい子・悪い子、おしゃべりな子・静かな子、乱暴な子・泣き虫の子…そういう個性の違いは幼いながらも感じていたのだが、Kちゃんの存在は、幼い私には“初めて出会う”違いでしかなかった。

Kちゃんは授業にはついて行けなさそうに見え、落ち着きもなく、彼女の特性からときに教室の空気を乱していた。
やがてクラスの悪ガキたちから、Kちゃんはからかわれたり、バカにされたりと、ちょっとしたいじめが始まった。
担任のF先生は、教師としてその対応に悩んだのだろう、席替えのとき、私の隣にKちゃんの席を配置した。
私がおとなしくて、優しそうで、意地悪なことはしなさそうだからという理由だったのかもしれない。その後は、いつ席替えをしても、Kちゃんの席は常に私の隣だった。

しかし、授業中にKちゃんにちょっかいを出されて集中できず、遠足では弁当に蜘蛛を入れられてお昼ごはんを食べそびれたこともある。
ついに我慢の限界に達し、私は先生に「Kちゃんに僕の描いた絵にいたずら書された」「Kちゃんにお弁当に蜘蛛を入れられた」と訴えた。
けれども返ってきたのは、“そういう子なんだから、がまんしてあげなさい”とやんわりと言われ、もうどうしようもなかった。

そんな折、悪ガキたちに誘われ、私も一度だけKちゃんをからかって、ちょっとしたいじめに加担したことがある。
その事実が先生の耳に入り、彼女は悪ガキたちを叱りつけた。
そして、私だけが別に呼び出され、「XXくん(私のこと)がそんなことをしたら、Kちゃんはどう思うの? XXくんになら、Kちゃんの気持ちを考えられるでしょう?」と諭された。
正直、あの悪ガキどもに一度誘われただけなのに、なぜ一緒にされて怒られるのか不満はあったものの、当時の私は先生の説諭を受け入れて、反省し、Kちゃんには優しく接するように努めた。

後になって、私の母(小学校教員だった)から聞いたのだが、Kちゃんのお母さんは「特殊学級ではなく、普通学級で学ばせたい」と学校に要望していたのだという。
小学校低学年の私には、Kちゃんのお母さんのその思いの意味を理解できていなかったとは思うが、それでも、「障害や特性のある子には、その子のための学級がある。しかし、そうではなく“普通”の学級で共に学ぶことを望む親もいるし、できるんだな」と思ったことだけは、ぼんやりと覚えている。

私はKちゃんも、その母親も、きっと大変な思いをしているのだろう、と。
「かわいそう」だな…その感情は幼いなりの私の同情心であり、今となっては障害の理解にはほど遠いものだったのだが、それが当時の私の正直な思いだった。

To be continued…

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