[閑話休題]『さぽーと』2018年5月号 今月の切り抜き「優生手術の被害者の救済を」から考える〜協会と優生学・優生思想・パターナリズム〜【前編】

戦後の1948年に成立した「優生保護法」によって、強制不妊手術を受けた宮城県の知的障害のある女性が国を相手取り1,100万円の損害賠償請求の訴訟を起こし、2018年3月28日に第1回口頭弁論が仙台地裁で行われた。国は請求棄却を求めているが、優生保護法(障害者団体他の運動により1996年に「母体保護法」に改正)による優生手術の違法性を問う初めての訴訟であった。そして、その後、5月17日には優生保護法による不妊手術により優生手術を受けた北海道・宮城県・東京都の被害者が一斉に提訴した。旧優生保護法を巡る国賠訴訟の第2弾である。
わかっているだけで、優生手術の実施件数は、本人の同意によるものが8,516件、優生保護審査会の審査によるものが16,475件だ。「本人の同意」とは言うものの、知的障害・精神障害のある人が、果たして、その手術の意味を本当に理解し、同意していたかは大いに疑問であるし、その他の障害であっても、何のための手術か本人に知らされないまま不妊手術が行われた事例もあるという。このような優生思想に基づく障害者差別・人権侵害を放置した国の不作為は糾弾されて然るべきあり、今後、この動きは全国に広がっていくのは当然のことであろう。

『さぽーと』2018年5月号の今月の切り抜き「優生手術の被害者の救済を」では、旧優生保護法による強制不妊手術を取り上げているので、それに纏わる話題を幾つか記してみたい。
知的障害者福祉の歴史において、優生学・優生思想やパターナリズムとの関係を問うことは避けて通れない道である。そして、日本知的障害者福祉協会(日本精神薄弱児愛護協会)の歴史においても然りである。その当時に対する評価は読者にお任せするとして、当該の知る限り、戦前・戦後の論調を紹介してみたいと思う。

藤倉学園の創設者であり、協会創設メンバーでもある川田貞治郎(1879-1959)を例に挙げよう。尚、日本の知的障害児教育・福祉の黎明期に果たした川田貞治郎の業績や貢献は本稿で取り上げる主題とは別に論じられるべきものである。

ゴダード(下列中央)と川田貞治郎(下列右端)–ヴァインランド訓練学校にて 出展:『天地を拓く−知的障害福祉を築いた人物伝』日本知的障害者福祉協会 2013年

川田貞治郎はアメリカ滞在中、ニュージャージー州ヴァインランド訓練学校(The Training School at Vineland)でゴダード(Goddard, H. H.)の薫陶を受けている。ゴダードは1912年に発表した『カリカック家−精神薄弱者の遺伝についての研究』(“The Kallikak Family: A Study in the Heredity of Feeble-Mindedness”)で有名な心理学者であり、知的障害の優生学的遺伝研究で名を馳せた。また、当時のアメリカでは知的障害者脅威論から大規模施設での収容隔離施策や去勢・断種が法制化された時期でもあった(賛否は分かれていたようではあるが)。当然の事乍ら、川田貞治郎も当時のアメリカの優生学の影響下にあっただろうことは想像に難く無い。

当時の知的障害者への優生学的処置、すなわち不妊手術について知ることができる議事録がある。
財団法人中央社会事業協会(社会福祉法人全国社会福祉協議会の前身、当時の会長は渋沢栄一)が主催した全国児童保護事業会議の第2回(1930年)会議の第3部会(議長:留岡幸助)の協議題15「児童の精神衛生思想を普及発達せしめむる方法如何」の中で建議案として「白痴、低能児、小児精神病者及び癲癇の病者を去勢する様法律を制定すること」を採択するか否かが議論されている。興味深い内容なので、該当箇所を引用する。尚、旧字旧仮名遣いは新字現代仮名遣いに変更、当該により発言者名・所属を補足している。

議長  皆様のご意見をお述べ願います。
有馬四郎助(東京府・小菅家庭学園)  精神という医学上の術語はいかなる意味を有するもでありますか。
小峰茂之(東京府・小峰研究所)  知覚、感情その他一切の心的作用を意味するのであります。
−−  ただいまの建議案に去勢という字句がありましたがそれに対する説明を願います。
小峰  去勢には一時的去勢法と永久的去勢法の2種類ありまして、一時的去勢法はレントゲンを用い今日ではかなり正確さをもっています。永久的の去勢法は手術によって行います。
有馬  つまり去勢法は種の滅亡を意味するものであってアメリカに於いては人道上から非難があるというがその点いかがですか。
小峰  精神病者一切に適用することは私も良くないと思っていますがある特殊の者のみにこれを適用せんとするのであります。
有馬  去勢の項だけは明年度まで研究問題として除外してはいかがでしょう。
勝水淳行(東京府・平井学院) 私も有馬さんと同様去勢の項だけ除外することを望みます。
小峰  昨日提案理由を説明する時私もこの問題には触れませんでしたが皆様の希望でありますれば除外しても差し支えありません。
川田貞治郎(東京府・藤倉学園)  ただいまの皆様のご意見は主として宗教上より見てのご意見だろうと思います。斯様な問題は人道上の見地より考察することが一層必要ではないか。今日の医学をもってすればなんら支障なく優生学上の効果を挙ぐることができるのであります。私のところでは事実実行しておりますが成績は非常によいのであります。私は去勢の項をを入れて差し支えないと思います。
勝水  ただいまのお話は結構であるがある人の話によるとこれら去勢論者一派の宣伝が非常に激しいと聞いております。私は人間本来の使命が種の保存にある以上人為をもってかくの如きことを行うことは自然に反するものと思います。その意味において私はこれには反対であります。私も有馬さんと同様去勢の項だけ除外することを望みます。
吉田六太郎(兵庫県・神戸市)  私は去勢法によって白痴の発生を撲滅した場合、それより後は一切白痴が発生しないという保証がつくなれば賛成であります。
小峰  これは事実重大なる問題でありますから権威あるこの会で明年の大会まで研究問題として保留することにしたら如何です。
一同  賛成。
有馬  社会の幸福のため去勢法は必要だと言われるが私は別の考え方をします。かかる論法よりすると犯罪者はすべて死刑に処するのが社会の幸福であるということになりますが今日ここに死刑廃止論者もあるくらいであります。現在の医学においては昔の不治の病もどんどん全快する様になっています。われわれは今後の医学の進歩に期待して去勢の1項目だけ保留することを提案します。
議長  皆様のご意見が尽きませんが決をとります。保留賛成51名、原案賛成13名。それでは保留が多数でありますから第1項「去勢云々」を削除しその他は委員長の報告通り決定いたします。

—『第2回 全国児童保護事業会議報告書』中央社会事業協会 1931年

第2回 全国児童保護事業会議 於東京市・日本青年館(1930年)

この様に、結果として「去勢」は委員からの反対意見多数により、削除されることになるのだが、この建議案作成経緯の川田貞治郎の発言から、実際に「優生学的処置」が施設で行われていたことが窺える。

1940年に制定された「国民優生法」は所謂“断種”法であったが、上記の議論にも見られるように人道的見地や医学的・遺伝学的見地から強制不妊手術や中絶に対する反対意見・慎重意見があり、実際に断種手術が実施されることはなかった(ようだ)。勿論、「人口政策確立要綱」(1941年)が閣議決定され、皮肉にも日帝軍国主義の総力戦体制の下「産めよ、殖やせよ」という人口政策・多産奨励に反するという事情もあったからである。

国民優生法 第1条 本法ハ悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加ヲ防遏スルト共二健全ナル素質ヲ有スル者ノ増加ヲ図リ以テ国民素質ノ向上ヲ期スルコトヲ目的トス 

話を戻すと、優生学の影響は川田貞治郎に限ったことではない。他の協会創設者も多分にその影響を受けており、優生学・優生思想が障害者問題・公衆衛生において支配的な地位を築いていたことがわかる。事実、1936年創刊の協会の機関紙誌『愛護』にも戦前の号には、知的障害児者の収容保護や治療教育、“愛護”の論調の中に社会防衛・優生思想が見受けられる。以下、該当箇所を抜粋引用する。尚、旧字旧仮名遣いは新字現代仮名遣いに変更している。

『愛護』第1巻第4-7号 目次

「…国家悠久の為に、日本民族の優良化を希わねばならぬ。異常児問題は人間完成の事業であって、また一面には人類退化の防止作業でもある。」脇田良吉

「民族の変質は今日の学問上決して防止できないものではない。…(中略)…更に遺伝学の進歩と悪疾遺伝の防止、収容保護の徹底、治療教育の充実等各方面から力を合わせて懸命の努力をすれば精神異常を減少せしむることまた決して難事ではない。」青木延春

—『愛護』第1巻第4-7号 日本精神薄弱児愛護協会 1937年12月20日

他の論者・協会関係者の論稿にも、日中戦争の激化による戦争賛美とEthnocentrism、優生思想が散見されるが、本号は特集「時局と異常児問題」(!)と云う時代の産物なので、逐一取り上げると切りが無い(興味のある方は読んでみてください)。

それでは、戦後民主主義下で成立した優生保護法、そして協会は優生手術をどう捉えていたのだろうか。

To be continued…

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